「聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた。」 箴言20章12節

 箴言において繰り返し語られる教えの一つに、怠け者について語って、勤勉を説く教えがあります。20章でも、4節に、「怠け者は冬になっても耕さず、刈り入れ時に求めるが何もない」とあり、13節には、「眠りを愛するな、貧しくならぬために。目を見開いていれば、パンに飽き足りる」と言われています。

 「目を見開いていれば、パンに飽き足りる」とは、文字通り、目を見開いてさえいればよいというのではなく、目覚めて勤勉に働けばということです。6章6節には、「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ」と記されていて、蟻とキリギリスの話は、ここから作られたのではないかとも思わされます。

 もっとも、キリギリスは春に卵から孵り、6月末頃成虫になって、それからほぼ2ヶ月ほどで繁殖を終え、死んでしまいます。野生で冬を越すことはありませんが、それはキリギリスが怠け者で、夏の間遊び暮らしていて、冬の備えをしなかったからなどではありません。つまり、蟻は蟻で、キリギリスはキリギリスで、それぞれどんな虫でも、子孫を残すのに必死なのです。

 勤勉を教えるための最も効果的な方法は、親が子に、自ら勤勉に働いている姿を見せることでしょう。外の仕事だけでなく、家事においてもマメに働いている親の姿は、子どもの目に美しく映ると思います。

 さらにもう一つ、その親が、神の御前に忠実にひざまずき、御言葉に聴き従う姿を見せたいですね。冬に耕し、春に種を蒔かないで、秋の収穫を期待する農夫はいないでしょう。私たちの信仰における恵みの収穫も、同じです。

 神の御心を悟ろうとして御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩むとき、心が深く耕されて主の恵みが花を咲かせ、努力した100倍も豊かな実を稔らせるでしょう。そして、そのような親たちの信仰の姿勢を見て、子どもたちも、まっすぐに信仰に導かれるでしょう。

 冒頭の言葉(12節)に、「聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた」とあります。人間は主なる神によって創造されたのですから(創世記1章26節以下)、耳と目を主が造られたというのは、その通りだということになります。

 しかし、ここであらためてそれが言われているのは、この箴言に語られている知恵を得るための手段として、神が人に「聞く耳、見る目」を与えてくださったのだと教えているわけです。

 申命記29章3節に、「主はしかし、今日まで、それを悟る心、見る目、聞く耳をお与えにならなかった 」という言葉があります。出エジプトの大いなる奇跡を見てはいるが、出来事に耳目を奪われて、それをなさった主に目を向け、御言葉を聞き、御心を悟ることがなかったということでしょう。

 また、エゼキエル書12章2節に、「人の子よ、あなたは反逆の家の中に住んでいる。彼らは見る目を持っていながら見ず、聞く耳を持っていながら聞かない。まことに彼らは反逆の家である」と 記されています。これも、神を見ず、神に聞かないということです。

 ソロモン王が、「あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することが出来るように、この僕に聞き分ける心をお与えください」と願ったとき(列王記上3章6節以下、9節)、神はそれをとても喜ばれました。

 そこで、「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える」と約束されました(同10節以下)。

 イスラエルの民を救い出すために神がモーセを呼び出したとき、モーセは、「ああ主よ、わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです」と言いました(出エジプト記4章10節)。

 それに対して、「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう」と言われます(同11,12節)。

 私たちが見るべきものを見、聞くべきものを聞いていれば、そこから悟りを得ます。特にそれが神の御言葉で、神が、ほかの誰でもないこの私に語りかけてくださっている御言葉に耳を開くことが出来れば、私の語るべきこと、なすべきことがはっきりと示されます。そのために、耳を造り、目を造られたと言われているわけです。

 今日も憚らずに神の御前に進み、その御言葉に耳を傾けましょう。主イエスの後ろから、その背に目を向けつつ御足跡に踏み従って歩みましょう。かくて真の知恵に与り、主の御心を行う者とならせていただきましょう。

 主よ、私たちの耳を開いてください。あなたの御声をさやかに聴くことが出来ますように。主よ、私たちの目を開いてください。主の御顔を拝し、御足跡に従ってまっすぐに歩むことが出来ますように。 アーメン