「あなたは主を畏れることを悟り、神を知ることに到達するであろう。」 箴言2章5節

 2章は、知恵を求める祝福が語られています。

 1章7節に続き、冒頭の言葉(5節)にも、「主を畏れること」が語られています。「主を畏れることを悟り、神を知ることに到達する」ことが出来るには、「わたしの言葉を受け入れ、戒めを大切にして、知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら」(1,2節)、そして、「分別に呼びかけ、英知に向かって声を上げるなら」(3節)と、その条件が挙げられています。

 父がわが子に語るように、著者がそれを学ぼうとする者たちに、知恵、英知、分別を尋ね、探し求めるようにと説いているわけで、それらを追い求めると、主を畏れること、神を知ることに到達するというのです。

 そのような知恵や英知、分別をどこに探すのかといえば、6節に、「知恵を授けるのは主、主の口は知識と英知を与える」と言われておりますから、神の言葉にそれを求めるのです。即ち、神の言葉を聞くことにより、主を畏れることを悟り、神を知ることに到達するのです。

 ただ、「銀を求めるようにそれを尋ね、宝物を求めるようにそれを探すなら」(4節)というのですから、その知恵は、机について学ぶものではなく、それを手に入れるために、苦労しなければならないのでしょう。

 主イエスが、「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」というたとえ話をしておられます(マタイ福音書13章44節)。見つけたら持っているものをすべて売り払ってでも手に入れたい宝、それが天の国です。

 天の国は、神がおられるところということで、神にお会いすること、神と交わることを、天の国と言い表しているといってよいでしょう。神とお会いし、その交わりに与ることは、何ものにも変えられない喜びだということをぜひ知って欲しいと、主イエスが語っておられるわけです。

 しかしその宝は、畑に隠されているというのです。宝がなぜ畑に隠されているのでしょう。私たちが真剣に神を畏れ、神を知りたいと願い、主に知恵や分別、英知をを尋ね求めるかどうか、御言葉を聞き、その教えに従いたいかどうかを、神が私たちに尋ねておられるということなのかも知れません。

 私の好きな話に、ある父親が仕事嫌いで怠け者の3人の息子に家宝を遺すという話があります。イソップ童話だったでしょうか。

 父親は、息子たちを呼び、「宝を畑に隠しておいた。見つけた者にやる」と言います。3人は我先に畑に行き、先を争って宝を探し始めますが、なかなか見つかりません。ばらばらに探していても埒が明かないと見た3人は、競い合うことをやめ、協力して探すことにします。一列に並び、端から順に深く掘って探しましたが、結局、宝は出て来ませんでした。出たのは、汗とため息ばかり。

 これは、「親父、騙しやがったな」という話なのでしょうか。そうではありません。この話の結末は、深く耕した畑は、どんな野菜でも良く育ち、豊かな実りを与えてくれる。そのために3人が協力して根気よく働くことこそ、家宝であるというのです。

 ところで、仕事嫌いの3人は、畑が宝の宝庫であることに気づいたでしょうか。協力すれば、どんな困難も乗り越えられるということを悟ったでしょうか。父の教え、諭しにきちんと耳を傾けていなければ、何も出て来なかった畑を、それこそ二束三文に売って、それで放蕩してしまったかもしれません。そして、その畑を買った人が、本当に安い買い物をしたと大喜びしたことでしょう。

 マタイ7章24節の「岩の上に自分の家を建てた賢い人」という表現を、ルカは、「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人」(ルカ6章48節)と記して、土台となる岩は地面深くに隠れているとしています。地面を深く掘って、隠れている岩を見出す賢さ、知恵が必要だということです。 

 パウロは、「知恵と知識との宝はすべて、キリストの内に隠れています」(コロサイ書2章3節)と言っています。知恵と知識を得るために、特別な学問をする必要はないのです。

 パウロは続けて、「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい」と言います(同6節)。つまり、主イエスを信じ、主イエスにあって、主イエスと共に歩むとき、その交わりを通して、真の知恵、知識の宝を、キリストの内に見出すのです。

 聖霊の導きを祈りつつ御言葉に静かに耳を傾け、御旨を尋ね求めること、示された御言葉を昼も夜も口ずさみ、主の御前に信仰を言い表すことによって、その知恵と知識との宝が開かれてくることでしょう。そのようにして、主を畏れることを悟り、神を知るという恵みに与らせていただきましょう。

 主よ、私のようなものさえ、父と子と聖霊の交わりの内に迎えるという恵みに与らせてくださり、心から感謝致します。あなたの御言葉に耳を傾けることを喜びとし、その御旨を悟らせていただくことを楽しみとして歩むことが出来ますように。 アーメン