「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。」 詩編149編1節

 149編は、「ハレルヤ詩編」(146~150編)の4番目の詩で、異邦の民に対する勝利を喜ぶ賛美の歌です。

 まず、イスラエルの民を賛美へ招きます(1~3節)。冒頭の言葉(1節)に、「主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ」とあります。「主の慈しみに生きる人」は、「慈しみ」(ヘセド)の形容詞で、「敬虔な、忠実な」(ハーシードの複数形)という言葉です。それが名詞的に用いられて、口語訳、新改訳のように「聖徒」と訳されることもあります(岩波訳は「忠実な者たち」)。

 新共同訳は、敬虔な者、聖なる者たちとは、主の慈しみに生きる者と解しました。それは、主の慈しみなしには生きられない、主に依り頼んで生きる人々ということであり、それゆえに、主なる神の御前に謙って歩む者たちということでしょう。

 それは、主イエスが山上の説教で語られた、「心の貧しい人々」のことといってもよいのではないでしょうか。岩波訳はそれを「乞食の心を持つ者たち」と訳しています。直訳すると、「霊において貧しい人々」という言葉で、依って立つべきものを一切持たない人々のことを言います。

 主は、その貧しい人々に天の御国を賜るという祝福をお与えになります。だから4節に、「主は御自分の民を喜び、貧しい人を救いの輝きで装われる」と言われているわけです。

 2節に、「シオンの子らはその王によって喜び躍れ」と言われていますが、ここで「王」というのは、前の行の「イスラエルはその創り主によって喜び祝い」という言葉から、かつてイスラエルに君臨したダビデ家の王たちではなく、天地を創り、イスラエルを統べ治められる万軍の主なる神を指しています。

 1節の「主の慈しみに生きる人」を、2節で「イスラエル」、「シオンの子ら」と言い換え、主なる神が造り主として、また王として、御自分の民に慈しみをお与えになるがゆえに、4節の言葉でいえば、「貧しい人を救いの輝きで装われる」ので、喜び祝い、喜び躍ることが出来るというのです。

 「主の慈しみに生きる人」に与えられる装いについて6節に、「口には神をあがめる歌があり、手には両刃の剣を持つ」と語られます。「両刃の剣」は、「国々に報復し、諸国の民を懲らしめ」(7節)、「王たちを鎖につなぎ、君侯に鉄の枷をはめ」(8節)るために与えられるのですが、9節では、「定められた裁きをする」と言われていますので、これは、神の裁きの言葉ということです。

 両刃の剣と言えば、ヘブライ書4章12節でも、「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができる」と言われております。

 勿論それは、神の裁きの言葉をもって、誰彼となく切りつけて報復してよいということではありません。両刃ということは、刀の刃が相手に向かうと同時に、自分にも向けられているということです。人を裁くその裁きで自分も裁かれ、人を祝福するとき、自分も祝福に与ることが出来ます。

 エフェソ書6章10節以下に、悪魔の策略に対抗して立つことが出来るよう、神の武具を身につけよと命じられています。その17節に、「霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい」という言葉があります。この剣は、敵を成敗する「正義の刃」などではありません。同14節に、「正義を胸当てとして着け」と言われています。つまり、正義は私たちの命を守る胸当てであって、剣ではないのです。

 同19節に、「わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように」と言い、さらに同20節で、「わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に語れるように」と言っています。すなわち、私たちが身につける霊の剣、神の言葉とは、救いの恵みを与える福音の言葉、人を生かす命の言葉ということになります。

 実に主イエスは、私たちがまだ罪人であったとき、不信心な私たちのために、死なれました。むしろ神の敵であったのに、私たちに愛を示し、救ってくださったのです(ローマ書5章6節以下)。神によって裁かれるべき私たちが、その贖いによって罪赦され、救いの衣を着せられ、神の子とされました。

 それゆえ、「主の慈しみに生きる人は栄光に輝き、喜び勇み、伏していても喜びの声を上げる」(5節)のです。伏しているのが病いの床であっても、悲しみの床であっても、主イエスはそこから立ち上がらせ、喜びをお与えくださるのです。

 口に主を崇める歌を、手には福音の言葉を持ち、主の愛と慈しみを証するため、聖霊に満たされましょう。日々主を求めて御前に進み、謙ってその御言葉に耳を傾けましょう。

 主よ、私たちはキリスト・イエスにあって、新しく造られたものです。古い自分に死に、神の子として生きる道を歩ませて頂いています。主の御言葉に従って歩むことを通し、主から授けられた新しい歌で賛美することを通して、力強く主を証しさせてください。すべてを益に変えてくださる主を信じ、御名を崇めます。 アーメン!