「いかに幸いなことか、ヤコブの神を助けと頼み、主なるその神を待ち望む人。」 詩編146編5節

 146編は、詩編の最後を締めくくる「ハレルヤ詩編」(146~150編)の最初のものです。「ハレルヤ詩編」は、詩の初めと終わりで、「ハレルヤ」(1,10節)と主なる神をたたえています。

 主を賛美せよと記した後、「君侯に依り頼んではならない」と言います(3節)。人間が頼りにならないのは、「霊が人間を去れば、人間は自分の属する土に帰り、その日、彼の思いも滅びる」からです(4節)。彼らに信頼していた人々の希望も、彼らの死によって打ち砕かれてしまいます。

 そこで、5節以下において、真に頼るべきは主なる神であることを示します。主が「とこしえにまことを守られる」(6節)からです。「まこと」は「真理、真実、確かさ、安定、信頼性」(エメト)という言葉です。 

 それは、リーダーが不必要ということではないと思います。かつて、イスラエルの民がエジプトを脱出したとき、モーセは、民の上に千人隊長、百人隊長、十人隊長を立てるように導かれました(出エジプト記18章13節以下、21節)。

 また、主はサウルを選び(サムエル記上9章以下、10章1節)、次にダビデを選んで、イスラエルの王とされました(同16章1節以下、12節、サムエル記下5章1節以下、3節)。

 ただ、サウルやダビデ、その子孫がいかに優れた指導者であっても、真の信頼に足るものでないことを、イスラエルの民は歴史を通して学びました。彼らは、偶像礼拝の誘惑から、それに伴う神の裁きから、国民を守ることが出来なかったからです。指導者自身が神を畏れ、忠実に神の御旨に従うべき者であることが求められているのです。

 私たちは、政治や経済、教育その他あらゆる分野の指導者たちのために祈るべきです。わが日本バプテスト連盟の信仰宣言の中で、「国家も神の支配のもとにある。・・教会は国家に対して常に目を注ぎ、このために祈り、神のみむねに反しないかぎりこれに従う」と述べているのは、そのことであるといってよいでしょう。

 冒頭の言葉(5節)で、主なる神を助けと頼み、待ち望む人がいかに幸いなことかと語った詩人は、「天地を造り」(6節)から、「主は寄留の民を守り」(9節)まで、神がどのようなお方であるかを、10の動詞(分詞)で表しています。つまり、主なる神は、神を助けと頼み、主を待ち望む者のために、具体的に行動されるお方であるということです。

 その箇所に3つ、受身の動詞(分詞)があります。「虐げられている(人)」、「捕らわれ(人)」(7節)、「うずくまっている(人)」(8節)です。その背後に、弱い者を虐げ、捕え、うずくまらせる、神に「逆らう者」の存在をうかがわせます。

 人の上に立つ者は、その権力、力で思うまま横暴にふるまってはなりません。権力者の暴力によって苦しめられ、弱くされている人々のために、神が彼らの傍らに立たれ、彼らのために働かれるのです(103編6節、145編14節)。

 9節で、「みなしごとやもめ」は寄る辺なき者の代表として、一方、「逆らう者」は彼らを苦しめる者として、対比されています。そして、「励ます」、「くつがえす」と訳されている言葉は、いずれも未完了形の動詞が用いられています。つまり、その状態が今もずっと続いていることを示しているのです。神は寄る辺なき者に絶えず寄り添い、彼らを苦しめる者を退けられるわけです。

 イスラエルの民は、バビロンから解放されたとき(エズラ記1章1節以下)、そして、神殿を再建したとき(同3章8節以下、6章13節以下)、それから、エルサレムの町の城壁修復でも(ネヘミヤ記3章1節以下、7章1節以下)、そのことを味わいました。

 「励ます」は、「戻る、繰り返す」(ウード)という言葉のポレル形で、「回復する(restore)、(苦しみを)軽くする、取り除く(relieve)」という意味で用いられます。イスラエルを苦しめていたバビロンは退けられ、バビロンによって捕らわれ、虐げられ、うずくまらせられていたイスラエルは、主を礼拝する民として回復されたのです。

 そこに、神の深い愛と慈しみが示されます。そして主なる神は、その深い愛と慈しみにより、自分の罪のゆえに死の渕に沈むほかなかった私たちをも救い、神の子となる道を開いてくださいました。

 「王」という漢字は、天と地の間に十字架を書きます。天と地を十字架の道で結んでくださったお方こそ、神の右に座しておられるとこしえの王なる主イエスです。主イエスとその御言葉に信頼し、幸いを得ましょう。

 主よ、あなたの御業のゆえに、感謝し、賛美をささげます。あなたは私たちに救いの道を開き、命の言葉を与えてくださいます。日々御言葉に耳を傾け、導きに従って歩みます。その恵みに生きることの出来る幸いを心から感謝致します。主の恵みと慈しみが全地に満ち溢れますように。 アーメン