「主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。」 詩編145編14節

 145編は、「アルファベットによる詩」と、新共同訳聖書には記されています。各節の冒頭がアルファベット順に並んでいるわけです。ただし、14番目の「ヌン(英語のn)」がありません。ヘブライ語のアルファベットは22ありますが、一つ足りないので、21節までになっているわけです。

 重要な死海写本や、ギリシャ語訳旧約聖書(七十人訳)などは、13節の後に「ヌン」の行を挿入しており、それを採用すれば、「主は御言葉に忠実(真実)であられ、すべての御業において聖であられる」という言葉が、13節と14節の間に入ることになります。

 もともと、「ヌン」の行はあったのか無かったのかが問題になるわけですが、日本語訳聖書はいずれも、「ヌン」の行のある本文を採用していません。ということは、本来は無かった、死海写本や70人訳に「ヌン」の行があるのは、写本の記者が書き足したものと考えているるのです。

 一般的に、2種類の写本があるとき、整った形をしているものが先にあって、それからなぜか一部分が抜け落ちて不完全なものになってしまったと考えるよりも、もともとは不完全な形だったので、後から書き足して形が整えられたと考える方が、理に適っているというわけです。

 145編は、「世々限りなく御名をたたえます」という言葉が最初(1節)と最後(21節)にあって、この詩が王なる神をたたえる賛美であることを明示し、そして、この言葉に挟まれた詩の各節は、たたえられるべき神の恵みと偉大なる御業について、力強く謳い上げています。

 表題に「賛美(テヒッラー)、ダビデの詩」とありますが、表題で「テヒッラー」と紹介されているのは、詩編の中でこれだけです。 タルムードでは、この詩について、「ダビデのテヒッラーを三度繰り返すものは皆、間違いなく来るべき世の子である」と評価しています。

 因みに、タルムード (ヘブライ語で「研究」の意)とは、モーセが伝えたもう一つの律法とされる「口伝律法」を収めた文書群のことです。6部構成、63編から成り、ラビの教えを中心とした現代のユダヤ教徒の生活・信仰の基となっているものです。

 この詩の中に、正確に訳出されていないものも含め、「すべて、ことごとく」(コール)という言葉が、合計17回出て来ます。「絶えることなく(=すべての日に)」(2節)、「造られたものがすべて」(10節)、主に感謝せよと、時間、空間に制限を設けないで、限りなく賛美すべきことが強調されているわけです。

 それは、主なる神の主権は「とこしえの主権」であり、主の「統治は代々に」(13節)及んでいるからです。ここで、「とこしえ」は複数形で、しかも、「すべての」という言葉がつけられています。いかに強調した表現になっていることでしょう。

 「主は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられます」(8節)、「主はすべての者に恵みを与え、造られたすべてのものを憐れんでくださいます」(9節)とたたえていますが、神の強い力、その御業が、特に弱い者に向けられていることを示しています。

 具体的には、冒頭の言葉(14節)の通り、「主は倒れようとする人をひとりひとり(=すべて)支え、うずくまっている(すべての)人を起こしてくださいます」と言い、次いで、「ものみながあなたに目を注いで待ち望むと、あなたはときに応じて食べ物をくださいます」(15節)と語られます。

 この言葉は、主の祈りの、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という言葉について学ぶときに、必ずといってよいほどに引用されるものです。

 エリヤが女王イゼベルに呪いをかけられて怖気づいたとき(列王記上19章2節以下)、御使いが彼にパン菓子と水を与えて力づけ(同5節以下)、神の山ホレブに導きました。そこでエリヤは主の御言葉を聞きます。その中で、エリヤの後継者としてエリシャを立てること(同16節)、そして、イスラエルにバアルにひざまずかなかった7000人が残されていること(同18節)が告げられました。

 エリヤのような預言者でも、倒れることがあります。うずくまってしまうことがあります。けれども、主はエリヤに手を差し伸べ、力づけ、立ち上がらせてくださいました。彼に必要な食べ物をお与えくださったのです。

 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ福音書4章4節、申命記8章3節)ものです。神はすべての御言葉で私たちの必要を満たされます。パンが必要なときにはパン、慰めを必要としているときには慰め、気力を失っている者には今日を生きる命の力と新たな使命を与えて、立ち上がらせてくださいます。

 逆に言えば、この神の助けなしには、立ち上がって歩き出すことは出来ない。神の口から出る一つ一つの言葉なしには、誰も生きることは出来ない。神は私たちが立ち上がることができるように、必要なものをすべて備え、与えてくださるということです。

 詩人の勧めの通り、世々限りなく主の御名をたたえましょう。

 主よ、私たちを活かす命のパンとして、主イエスをこの世に遣わし、私たちを罪のどん底から救い出し、立ち上がらせるために贖いの供え物とならせられました。それがクリスマスの出来事であり、そして、十字架の出来事です。ここに神の深い愛が示されます。すべての者が主に感謝し、その恵みを深く味わって、心から御名を崇め、賛美をささげることが出来ますように。クリスマスの平和が全地にありますように。 アーメン