「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。」 詩編121編1,2節

 121編は、「都に上る歌」歌集の2番目のもので、主なる神に信頼しつつ旅路を行く人の詩です。。

 冒頭の言葉(1節)で、「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」とありますが、このように詠う詩人の心境とは、どのようなものでしょうか。「わたしの助けはどこから来るのか」という言葉から、いくつかのことが考えられます。

 まず、「山々」とは、自分の行く手を阻むさまざまな問題を象徴しているもので、具体的には、山賊や肉食獣などの潜む危険な場所を示しており、詩人が不安な面持ちでそれらを眺め、「わたしの助けはどこから来るのか」と声を上げているといった様子を思い浮かべます。そして、その声を聞いてその危険な場所で詩人を助けて下さるのは、天地を造られた主だと詠っています。

 「天地を造られた」というのは、創世記1章にあるように、天と地にある一切のものを造ったという表現です。であれば、山々を造られたのも、そこに潜むすべてのものを造られたのも、主なる神なのですから、当然、行く手を阻むものの手から詩人を守ることが出来るというわけで、そこに希望を見い出し、平安を得て進むことが出来たということになります。

 あるいは、旧約聖書において、「山々」に象徴される高いところは、「聖なる高台」と呼ばれて、神を礼拝する場所でした。列王記上11章7節などには、異教の偶像を祀る場所として、聖なる高台が設けられたことが記されています。高い山で天との距離の近さを思うのでしょう。いずれにせよ、イスラエルの民はそれら聖なる高台に祀られる異教の偶像に惑わされ続けていました。

 かつて、カルメル山の上で預言者エリヤがイスラエルの民に呼びかけて、「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え」と尋ねたことがあります(列王記上18章21節)。

 それゆえ、詩人は山々に祀られる神々の中で、だれが私を助けてくださるのかと自問し、助けは天地を造られた主なる神のもとから来ると、自ら答えているというわけです。

 もう一つは、「山々」がエルサレムとその周囲の山々を指しているという考えです。125編2節には、「山々はエルサレムを囲み」という言葉もあります。エルサレムを取り囲む山々は、シオンの丘との間に谷を造り、エルサレムを堅固な要塞とします。主なる神がそのように山々を配置されたのです。

 123編1節に、「目を上げて、わたしはあなたを仰ぎます。天にいます方よ」という言葉があります。それは、主の憐れみが注がれるのを待つ祈りの姿勢であり、その祈りに応えてくださる方を仰ぐ信頼の姿勢でした。

 詩人は、天地を造られた主なる神を礼拝するために、エルサレムに向けて歩みを進めています。エルサレムを囲む山々を眺めながら、「わたしの助け」は「天地を造られた主のもとから」やって来る、わたしは今、神の助けに囲まれていると、何かワクワクするような思いで語っているのではないでしょうか。

 これらの解釈の内、どれが正しいのかということではなくて、私たちの人生には、いずれの要素もあるのではないか、と思わせられます。不安や恐れに囲まれているように感じるときがあるでしょう。どれが自分の進むべき道か、はたまた、神はほんとうにおられるのかと惑うときもあるでしょう。

 しかし主は、不安に押しつぶされそうなときに寄り添い、惑っているときには道を示してくださいます。そうして、私たちが主を仰いで、「わたしを助けてくださるのは、天地を創造され、わたしのために贖いの御業を成し遂げてくださった主なる神である」と告白することが出来るように助け導いてくださるのです。

 ダビデが、「主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の影の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」(詩編23編3,4節)と言い得たのも、主の助けを頂いたからこそでしょう。 

 パウロが、「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです」(コロサイ書1章13,14節)と記しているのも、そのことです。

 主は私たちを助けて、足がよろめかないように、眠ることなくまどろむことなく見守ってくださいます(3~5節)。常に主イエスを仰ぎ、絶えずキリストの愛と平和に満たして頂きましょう。

 主よ、どうか足がよろめかないように私たちを助け、まどろむことなく眠ることなく、私たちを見守ってください。キリストの平和が私たちの心を支配し、キリストの言葉が私たちの内に豊かに宿りますように。そして、感謝して心から御名をほめたたえさせてください。 アーメン