「わたしは信じる、『激しい苦しみに襲われている』と言うときも、不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。」  詩編116編10,11節

 116編は、救いを求めて嘆き祈る祈りが主によって答えられたことに対する感謝の賛美の歌であり、あらためて主を信じる信仰を宣言する詩です。

 七十人訳聖書(ギリシア語訳旧約聖書)では、9節までと10節以下で別々の詩とされています。 なぜそうなったのか、その理由はよく分かりません。

 詩人は、「死の綱がわたしにからみつき、陰府の脅威にさらされ」(3節)、「あなたはわたしの魂を死から、わたしの目を涙から、わたしの足を突き落とそうとする者から、助け出してくださった」(8節)、「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い」(15節)と、繰り返し「死」について語っています。

 傷病であるにせよ、押し迫って来る敵の存在であるにせよ、そこに詩人の命を脅かし、苦しませ、嘆かせているものがあったことが分かります。 

 そのような状況に陥ったとき、詩人にはもはや、主なる神のほかに頼りになるものがありません。それゆえ、「苦しみと嘆きを前にして、主の御名をわたしは呼ぶ。『どうか主よ、わたしの魂をお救いください』」と詠うのです(3,4節)。

 詩人にとって死と陰府の脅威とは、何より、神との交わり、神との関係が完全に断たれてしまうことを意味していました。パウロが、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」(ローマ書3章23節)、「罪の支払う報酬は死です」(同6章23節)というのも、同様のことを語っていると思います。

 15節の、「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い」という言葉は、興味深い言い回しです。これは、主の慈しみに生きる人は、主の目に価高いのだから、いつ死んでもよいなどということではありません。

 「主の目に価高い」とは、主の慈しみに生きている人を死なせることは、彼らの主を褒め称える歌が途絶え、全地に主の恵みを証する働きを奪い去ることになり、それはもったいないことだという表現で、主の慈しみに生きている人の命を貴いものとしてくださいという願いが込められている言葉なのです。

 「主の慈しみに生きる」とは、主の慈しみのうちを歩む、慈しみを受けて生きるということでしょう。「哀れな人を守ってくださる主は、弱り果てたわたしを救ってくださる」(6節)と語られていることから、詩人は、自分が哀れな人で、弱り果てている者であると告白し、そのような自分を守り、救ってくださる神に感謝し、恵み豊かな主とその御言葉に信頼して生きようと言っているわけです。

 さらに、冒頭の言葉(10,11節)で、「わたしは信じる、『激しい苦しみに襲われている』と言うときも。不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも」と宣言しています。

 前述のとおり、ここに来て、詩人には主なる神のほか、頼りとするものは何もないのです。人に頼れば、「不安がつのり、人は必ず欺く」という思いから解放されず、ますます不安が募って来るといった悪循環に陥ってしまうのです。けれども、主を信じ、主を頼りとするとき、主が憐れみ深く、情け深いお方であることを味わい、悟ります(5節)。

 使徒パウロはこの詩人の信仰に心打たれたのでしょう。10節の言葉を第二コリント書4章13節に引用しているからです。そこに、「『わたしは信じた。それで、わたしは語った』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます」と記しています。苦しめられ、死にさらされていても、主を信じて語ることが出来るというのです。

 さらに、第二コリント書12章9節で、「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで弱さを誇りましょう」と語っています。

 私たちが弱り、苦しめられている中で、神の力ある御業がなされるとき、それは私たちのゆえではなく、神の恵み、慈しみのゆえであることが分かります。

 当然のことながら、弱さそのものが私たちの誇りなのではありません。私たちの弱さの中で力強く働いていてくださる主を誇りとし、それゆえ、どのようなときにも喜びと感謝をもって、主なる神に賛美と祈りをささげるのです(1,2節、17節以下)。

 救いの杯を上げて主の御名を呼びましょう(13,14節)。この賛美の杯をパウロは、主の晩餐式の杯と結びつけています(第一コリント書10章16節)。

 「イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神にささげましょう」(ヘブライ書13章15節)。 

 主よ、弱い私たちを憐れみ、助けてください。弱さの中に御業を現してくださる主を信じます。私たちの嘆き祈る声に耳を傾けてくださるからです。聖霊に満たされ、詩と賛美と霊の歌をもって御名を褒め称えさせてください。絶えず御名をたたえる唇の実をささげることが出来ますように。 アーメン