「ユダは神の聖なるもの、イスラエルは神が治められるものとなった。」 詩編114編2節

 114編は、ハレル詩編歌集(詩編113~118編)の第2のもので、エジプトの奴隷であったイスラエルの民を、神がいかにしてご自身の宝の民とされたかということについて、物語っています。

 この詩は、2節ずつ4つの段落に分かれ、第1段落と第4段落、第2段落と第3段落が対応とするという対称形になっています。さらに、各段落の前節と後節が対をなしていて、短い詩ながら、技巧を凝らした構造になっています。

 第1段落(1~2節)には、イスラエルがエジプトを脱出したことと、イスラエルをおのが聖なる民として選ばれたことが記されています。1節で、「イスラエル」と「ヤコブの家」、「エジプト」と「異なる言葉の民」は同義語です。

 続く冒頭の言葉(2節)で、「神の聖なるもの」は「彼の聖所」という言葉です。「神が治められるもの」とは「彼の領土」という言葉です。これは、イスラエルを神の治められる領地とし、そこを聖所、すなわち主なる神を礼拝するところとされたということを示しているのでしょう。

 第1段落と対になる第4段落(7~8節)には、全地の民が主の御前に身もだえすること、即ち、主なる神を畏れることと、その方は、岩を水のみなぎり溢れる泉とされる方だからということが記されています。これは、出エジプト記17章1節以下、民数記20章8節の出来事を指しています。

 第2段落(3~4節)は、海とヨルダン川が退いたことと、山々と丘が踊ったことが記され、第3段落(5~6節)は、海と川、山々と丘がそのように振舞うとはどうしたことかと問う言葉が記されています。

 海が逃げ去ったとは、葦の海が二つに分かれて、イスラエルの民が乾いた地を渡ったこと(出エジプト記14章21,22節)、また、ヨルダン川が退いたとは、川の水が上流でせき止められて、民が干上がった川床を渡ったこと(ヨシュア記3章15~17節)を指しています。

 また、山々と丘が踊ったとは、イスラエルの民に十戒を授けるために神がシナイ山の上に降られた時、山全体が煙に包まれ、激しく震えたこと(出エジプト記19章16,18,19節)を指しているのでしょう。ここには、海や川、山や丘を支配される神が詠われているわけです。

 そしてそれは、イスラエルの民がエジプトを脱出して、カナンの地に向けて進むときに起こりました。つまり、3~6節で言われていることは、1節と2節の中間に起こった経過報告になります。

 力強い御腕をもってイスラエルの民をエジプトの地から連れ出され、ユダの地を聖所として選び、イスラエルを治められる神は、それゆえに、全地の民に恐れられるお方であられます。

 そしてまた、海や川を退かせ、山々と丘を震え上がらせて全地を支配される神は、岩を水のみなぎるところとし、それによって荒れ野を旅するイスラエルの民に飲み水を供与されるお方なのです。

 こうして詩人は、全地を支配される神が、奴隷の苦しみの中にあったイスラエルの民を憐れみ、彼らをその苦しみから救って約束の地を得させるために、驚くべき御業をなさったこと、全地の民はその方を畏れ、礼拝すべきことを、この短い詩の中に見事に描き出しています。

 バビロン捕囚を経験したイスラエルの民は、バビロンから解放されたことを出エジプトの出来事と重ね、あるいは「異なる言葉の民」(1節)をバビロニア人と考えて読んだのではないでしょうか。そして、どのような苦境にあるときにも、この詩を歌うことで、慈しみ豊かな神への信仰に目覚め、そこに堅く立つことが出来るようにされたことでしょう。

 信仰に立って賛美と祈りをささげるとき、自分は何者か、自分はどこにいて、何をすべき者なのかを知らされます。また、苦難の中にいて主の御名を呼び、嘆きの歌をうたえば、主なる神が親しく聞いて、民の苦しみを取り除き、その縄目から解放してくださいます。

 これまで何度も学んだように、神はイスラエルの民を御自分の聖なる民、全地のすべての民の中から選び出された宝の民とされました。それは、彼らが他のどの民よりも貧弱だったから、神の愛のゆえにその恵みに与ったのです(申命記7章6~8節)。

 その深い愛と憐れみのゆえに、異邦人である私たちも選ばれて神を礼拝する宝の民として頂くことが出来ました(第一ペトロ書2章9,10節)。イスラエルの救いのために大自然に働きかけられた神は、私たちを神の民とされるため独り子イエスをお与えくださったのです(ヨハネ福音書3章16節)。ここに神の愛があります。

 天のお父様、あなたの深い愛と憐れみのゆえに、心から感謝し、賛美をお献げ致します。かつては神の民ではありませんでしたが、今は神の民であり、以前は憐れみから漏れていましたが、今は憐れみを受けています。私たちを暗闇から驚くべき光の中に導き入れてくださった主の愛と恵みを、広く証しし、福音を宣べ伝えることが出来ますように。 アーメン