「わたしは神が宣言されるのを聞きます。主は平和を宣言されます。御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に、彼らが愚かな振る舞いに戻らないように。」 詩編85編9節

 85編は、神に救いを求める「祈りの詩」です。

 2節に、「主よ、あなたは御自分の地をお望みになり、ヤコブの捕らわれ人を連れ帰ってくださいました」と言います。ここで、カナンの地を「御自分の地」(アルツェハー:直訳「あなたの地」)というのは、サムエル記下7章23節とここだけに出る珍しい表現です。勿論、すべては神の被造物です。ここでは、イスラエルの民に再び嗣業の地を与えることを望まれたという表現でしょう。

 イスラエルが捕囚の地から戻ることが出来たのは、ただ主の憐れみでした。3節の、「御自分の民の罪を赦し、彼らの咎をすべて覆ってくださいました」という言葉がそれを示しています。神の怒りを買ってエルサレムの都がバビロン軍の手に落ち、捕囚とされたとき、イスラエルの民は、再びエルサレムに戻る日が来るとはとても思えなかったでしょう。しかし、50年後、それが現実となったのです。

 ただ、エルサレムに戻って来れば、以前のような生活が直ぐに営めるようになったということではありません。ペルシア王キュロスによってバビロンから解放され、エルサレムに戻れたものの、町は破壊され、城壁も崩れたままでした(ネヘミヤ記1章3節)。

 神殿再建、城壁再建を妨害する敵の存在に加え(エズラ記4章、ネヘミヤ記6章)、旱魃による飢饉に見舞われ、さらに役人に課せられた重税によって打ちのめされました(ヘネミヤ記5章)。

 エルサレムに帰還後、100年以上経っても、そういう有様だったのです。だからということでもないかも知れませんが、多くのユダヤ人たちが、イスラエルに戻ろうとせず、バビロンに留まっていたのです。

 4節に、「怒りをことごとく取り去り、激しい憤りを静められました」と語られているのに、続く5節で、「わたしたちの救いの神よ、わたしたちのもとにお帰りください。わたしたちのための苦悩を静めてください」と祈り、6節に、「あなたはとこしえにわたしたちを怒り、その怒りを代々に及ぼされるのですか」と尋ねています。

 上述のような事態の中で、エルサレムに戻されたことについて、私たちをここで苦しませるために、連れて来たのか、神はいつまでお怒りになるのか、こんなことならバビロンにいる方がましだったという嘆きや不満の声が上がったのは、想像に難くないところです。

 しかし、そこに神を畏れ、その御声を聞く人々がいました。冒頭の言葉(9節)にあるように、彼らは主が「平和(シャローム)」を宣言される声を聞いています。「平和」を「救い、幸福」と訳してもよいでしょう。神の御声を聞いている人々は、自分の置かれている環境は、厳しいものがあっても、しかしそこに神の救い、幸福を見ることが出来たのです。

 「主を畏れる人に救いは近く、栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう」と言い(10節)、さらに、「慈しみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます。主は必ず良いものをお与えになり、わたしたちの地は実りをもたらします」と語ります(11~13節)。

 9節以下の段落の動詞は殆ど未完了形ですから、未来に成就されるものとして未来形のように訳されます。ただ、11節は完了形です。

 「慈しみとまことは出会った。正義と平和は口づけした」ことにより、この地に平和が実現すると信じるといった表現です。主を畏れる詩人は、主なる神のうちに、「慈しみ(ヘセッド)」と「まこと(エメット)」が一つとなっていること、その恵みが私たちに「正義(ツェデク)」と「平和(シャローム)」として与えられたことを知りました。

 つまり、神が慈しみとまことをもって私たちとの関係を正しくし、正しい秩序をもたらしてくださること、そこに神の平和、平安が支配するということを、信仰によって受け止めているのです。それが、詩人を始め、イスラエルの人々が依って立つところ、主に助けを祈り求める根拠でした。

 2節にいう、主がお望みになる「御自分の地」とは、そのように主を畏れ、主の御言葉を聴く者が住む地であり、そこで私たちが正義と平和の恵みに与るように、私たちを招いてくださっているのです。

 招きに応え、主を畏れ、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。そこで主の慈しみとまことに触れ、正義と平和に与りましょう。  

 主よ、御子キリストの贖いにより、私たちの罪を赦し、咎をすべて覆ってくださいました。御前に謙り、御声を聴きます。今、苦しみの中にある多くの人々に、必ずよいものをお与えくださり、私たちの嗣業の地は豊かな実りをもたらすことを信じます。 アーメン