「彼らが悟りますように。あなたの御名は主、ただひとり、全地を超えて、いと高き神であることを」 詩編83編19節

 83編は、イスラエルを取り囲む敵の脅威の中から、神に救いを求める「祈りの詩」です。
 
 2節に、「神よ、沈黙しないでください」とあります。これは、神は必ず自分たちを守ってくださるという確信に立っているというよりも、むしろ、祈り求めても神が助けてくださらないのではないかと感じているような表現です。様々な敵の攻撃に際して何度も助けを祈り求めたのに、神は沈黙しておられるかのごとくに、何の助けも得られなかったという経験に基づいた言葉遣いではないでしょうか。

 7節以下に、「敵」が列挙されています。エドム人から8節最後のティルスの住民まで、いずれもそれはイスラエル周辺の国々、民族です。そして最後にアッシリアが登場して、ロトの子らに腕を貸したといわれます(9節)。ロトの子らとは、モアブとアンモンのことです(創世記19章36節以下)。つまり、7節以下に列挙された国々の民が徒党を組んで襲って来たということになります。

 アッシリアとイスラエル周辺諸国、諸部族が同盟を組んでイスラエルを攻撃したことがあるかといえば、歴史的にそれを裏付ける証拠はありません。むしろ、これらの国々とイスラエルが手を組んで、アッシリアやバビロンというメソポタミアの強国に対抗したことはあります。

 ただ、これらの国々がそれぞれイスラエルの「敵」となり、その攻撃に苦しめられたことがあるのは事実です。また、文化的、宗教的影響を強く受け、イスラエルの民が主なる神から離反する原因となりました。

 10節から13節までは、士師記4~8章に記されている出来事です。この時代、イスラエルが主の目に悪とされることを行い、それで神が周辺諸国にイスラエルを売り渡され、イスラエルの人々が主に助けを求めて叫ぶと、神が士師をたてて助けてくださるということが繰り返されました。

 ですから、イスラエルに敵する同盟軍に対して、かつてのようになさってくださいと求めるということは(10節)、この危機の原因が、イスラエルの背きの罪にあるということを示すことでもあります。

 今、詩人が恐れ戦いているのは、アッシリアの脅威が迫っているからです。5節に、「彼らは言います、『あの民を国々の間から断とう。イスラエルの名が再び思い起こされることのないように』」とありますが、アッシリア軍の残忍さは尋常ではなかったようです。

 アッシュル・ナシル・パルという王様(紀元前883~859年)は、自分の碑文に、「敵対者たちの血で山々を赤く染め、谷を死体で満たし、人々を火で焼いた。謀反を企てる者の皮をはいで磔にし、あるいは手足を切り落とした」と刻ませているそうです。

 預言者ヨナが神に、「ニネベに行きなさい」と命じられてそれを拒んだのは(ヨナ書1章参照)、ニネベがアッシリアの都だからで、このような残忍なことをする人々に神の言葉を語り、彼らが悔い改めて救われることを快しとしなかったからなのでしょう。

 神はしかし、アッシリアの攻撃の前に沈黙しておられました。アッシリア軍はサマリアを陥落させ、北イスラエル王国は滅ぼされてしまいました(列王記下17章1節以下、6節)。

 そのことについて列王記の記者は、「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである」(同7,8節)と評しています。

 さらに、「ユダもまた自分たちの神、主の戒めを守らず、イスラエルの行っていた風習に従って歩んだ。主はそこでイスラエルのすべての子孫を拒んで苦しめ、侵略者の手に渡し、ついに御前から捨てられた」(同19,20節)と言います。その言葉の通り、ヒゼキヤの代にアッシリアが南ユダ王国にも攻め込み、ユダの砦の町をすべて占領し、エルサレムの都に迫りました(同18章13節以下)。

 「あの民を国々の間から断とう」(5節)というのは、アッシリア王がヒゼキヤのもとに遣わしたラブ・シャケが、「主がわたしに、『この地に向かって攻め上り、これを滅ぼせ』とお命じになったのだ」(歴代誌下18章25節)と告げた言葉を思わせます。

 その時、ヒゼキヤにはアッシリア軍を追い返す力はありませんでした。ヒゼキヤは高官たちを預言者イザヤのもとに遣わし、「今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない」(同19章3節)と言わせ、祈りを要請しました(同4節)。

 そしてヒゼキヤ自身も、「わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼(アッシリア王)の手から救い,地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください」(同19節)と祈りました。

 詩人が冒頭の言葉(19節)のとおり、「彼らが悟りますように。あなたの御名は主。ただひとり、全地を超えて、いと高き神であることを」と,この詩の最後に記しています。ヒゼキヤのささげた祈りに似ています。

 主なる神は、イザヤの執り成しとヒゼキヤの祈りに応え、エルサレムを包囲していたアッシリア軍を一夜のうちに全滅させ(同35節)、ひとりニネベに逃げ帰ったセンナケリブ王も、謀反の剣に倒れました(同37節)。イスラエルに主なる神がおられることを、はっきりと思い知らされる結果となったのです。

 しかし、本当にそれを悟らなければならなかったのは、イスラエルの民自身でした。ヒゼキヤの死後、王位に就いたヒゼキヤの子マナセは主の目に悪とされることを行います(同21章2節以下)。その後、主の目に正しいことを行ったと言われるのは、ヒゼキヤの孫ヨシヤ一人で(同22章2節)、残りは皆、マナセの後を歩みました。

 その結果、マナセから数えて7代目のマタンヤ改めゼデキヤの代に、バビロンの王ネブカドネツァルに攻められ、エルサレムが陥落しました(同25章1節以下)。町中が焼かれ、城壁も破壊されました(9,10節)。捕囚の苦しみを通して、主が「ただひとり,全地を超えて、いと高き神であることを」悟らされたのです。

 絶えず主の御顔を慕い求め、謙って主の御言葉に聴き従いましょう。

 主よ、絶えず主の御名を求めさせてください。御前におのが愚かさ、罪を永久に恥じ、恐れ、あなたこそ唯一の主、ただひとり、全地を超えて、いと高き神でいますことを、悟らせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。この地に御心がなされますように。 アーメン