「主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた。」 詩編24編2節

 24編は、栄光に輝く王たる主の権威を称えています。

 1節に、「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの」とあります。原文では、最初に、「主のもの」(ラ・ヤハウェ)と記されています。主なる神が天地の創造者であるがゆえに、天地万物の所有者であり、そこに住むすべてのものの支配者であることを表しています。

 そして、その次に大変興味深い表現が出て来ます。それは冒頭の、「主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた」(2節)という言葉です。「潮の流れ」は、「川」(ナハル)という言葉で、絶えず流れて定まらない混沌の表象と、注解書に記されていました。

 聖書には、神が大空の上と下に水を二分され(創世記1章6節以下)、そして大地を水の上に広げた(詩編136編6節)と記されています。それはまるで、大陸が海の上に浮かんでいる浮島のようなものと考えているかのようです。この詩が作られた当時の人々は、海と陸など、地球のことをそのように理解していたのかもしれません。

 ただ、現代科学では、海と陸ではありませんが、マントルの上を地殻が覆っていると考えられています。ちょうど卵の白身にあたる部分がマントルで、卵の殻が地殻です。因みに、黄身にあたるところは核(コア)と言います。地球の表面を覆う厚さ100㎞の地殻は、幾つかの板(プレート)に別れています。

 そして、マントルが熱によって対流すると、それによってその上のプレートが動かされているのです。つまり、大陸といえども不動ではないし、地球は冷たく大きな岩の塊というわけではないのです。私たちの住む日本は、プレートの端っこで、プレートとプレートがぶつかり合う位置にあると考えられています。そのぶつかり合いで地震などが発生します。

 ここで、「大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた」というのは、私たちの人生を描写しているようです。自分はしっかりと人生設計をしたつもり、それに従って地歩を固めて来たつもりでも、それが一夜にして崩れることがあります。一流と言われる学校で学び、一流と言われる企業に就職して安定した生活を手に入れたはずだったのに、この不況下でリストラされ、あるいは倒産の憂き目を見た方々があります。

 減少傾向にあるものの、毎日70人以上の人が自殺されるという異常事態が、20年近く続いています。若者は勿論、中高年の自殺も大変な問題です。経済の問題、社会の問題、健康の問題、家庭の問題、人間関係の問題など、問題をあげればきりがありません。どんなに丈夫な家を建てても、大地そのものが揺り動かされれば、私たちの人生はそれによって大きく揺れ動くわけです。

 そのとき、私たちは大地を拠り所とするのではなく、目に見えるものの大きさやかたち、数の多さなどに信頼するのではなく、大海の上に大地の基を据えられた方、潮の流れの上に世界を築かれた主を信頼することが出来れば、それはどんなに心強いことでしょうか。私たちに波風を静める力はなくても、私たちと共におられる主イエスは、その力を持っておられます(マルコ福音書4章35節以下)。

 3節以下に、創造主を礼拝する会衆について記しています。それは、他者に悪事を働かない潔白な手を持ち、隣人に対して誠実に相対する人、空しいものに魂を奪われず、ひたすら忠実に主に仕える清い心を持つ人です(4節)。その人は、主を求め、神の御顔を尋ね求めます(6節)。

 そのように主を仰ぐ者を祝福され、救いの神を慕い求める者に恵みをお与えになります(5節)。ここで、「恵み」と訳されているのは、「義、正義」(ツェダーカー)という言葉です。「祝福」(ベラーカー)という言葉と韻を踏んだ言葉遣いです。「義」は、神との関係を回復し、正しくする神の賜物です。だから、意味を汲んで「恵み」と訳したのでしょう。

 7,9節に、「栄光に輝く王が来られる」といい、8,10節に、「栄光に輝く王とは誰か」を告知します。それは、雄々しく戦われる万軍の主です。栄光に輝く王は、ご自分を求め、礼拝する民に、勝利者として臨まれます。天地万物の創造者にして支配者であられる主なる神は、ご自分の名をもって呼ばれる都、そこに建立された神殿に、勝利者としておいでになります。
 
 私たちをご自分のかたちに創造し、この世界に住まわせられた主の御顔を絶えず尋ね求め、私たちに恵みをお与えくださる救いの神に信頼して、その御言葉に日毎に耳を傾けましょう。

 天のお父様、今日も私たちに必要な糧をお与えください。私たちはあなたの口から出る一つ一つの言葉によって生かされているのです。主によって造られたすべての人々に、恵みと平和が豊かにありますように。 アーメン