「主は聖なる宮にいます。主は天に御座を置かれる。御目は人の子らを見渡し、そのまぶたは人の子らを調べる。」 詩編11編4節

 1節に、「主を、わたしは避けどころとしている」と記されています。原文でも、「主」という言葉が冒頭にあります。わたしは主を信じる、主に依り頼む、主のみもと以外にわたしの避けどころはない、という信仰の表明です。

 これは、平時に語られた言葉ではありません。「鳥のように山へ逃れよ。見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ、闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている。世の秩序が覆っているのに、主に従う人に何ができようか」(1~3節)という友らの言葉に対して、詩人が答えた言葉なのです。

 「山へ逃がれよ」というのは、ソドムにいたロトとその家族に御使いが、町に下る罰の巻き添えにならないよう、低地のどこにもとどまらず、山へ逃げなさいといった出来事(創世記19章1節以下、17節)や、終末の徴について語られていた主イエスが、「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」(マルコ13章1節以下、14節)と語られたことなどを連想します。

 このとき、詩人はそのような危機に直面していたわけです。主に逆らう者は、弓に矢をつがえ、闇に紛れて心のまっすぐな人の命を狙っています。「世の秩序が覆っているのに」(4節)で、「秩序」(シェート)は、「拠り所、土台、支え」という言葉です。心のまっすぐな人の拠り所、支えは、主の賜る平和、平安でしょう。それが覆ったということは、暴力と不正が蔓延しているということになります。

 そのように、正義が不義によって脅かされているときに、どのように振る舞うかということが問われています。詩人は、鳥のように山に逃れる代わりに、自分の信仰を宣言しているわけです(1節)。

 詩人は、この信仰に基づき、自分が避けどころとする主とはどのようなお方なのか、4節以下で紹介しています。まず、冒頭の言葉(4節)のとおり、主なる神は聖なる宮、天に御座を置いておられる真の神です。そして、そのお方は、ひとり天において孤高を保っておられるのではありません。「御目は人の子らを見渡し」(4節)とあるように、神はその眼差しを私たちに向けておられるのです。

 ここで、「見渡し」(原語:ハーザー)というのは、「見る、予見する、知覚する、見て取る、預言する」という意味で、新改訳聖書は、「見通す」と訳しています。外見だけでなく心までも見られる神が、よくよく目を凝らして注視しておられると解釈すればよいでしょうか。

 「山に逃げよ」と勧告した友は、神ではなく、敵の姿を見ています。敵が闇に紛れて矢を番え、狙いをつけているのを見て詩人に忠告しました。けれども、詩人は、自分に注目していてくださる主なる神に目を上げたのです。このように、何を見ているか、何に目を向けているかということで、その人がどこに立っているか、ということが示されます。

 ということは、「そのまぶたは人の子らを調べる」と言われていることから、神は、私たちが何に目を向けているか、何に信頼して立っているか、敵の姿や困難な問題を通して調べられるとも言うことが出来そうです。ヨブが苦しみを経験したのも、そういうことだったのかもしれません。アブラハムに、「長子を全焼のいけにえとしてささげよ」と言われたあの無理難題も、そうでしょう(創世記22章参照)。

 私はこの試験に合格する自信はありません。正直に言えば、ペトロのように主を否み、山に逃げ出すことでしょう。また、ヨナのように舟に乗り込み、ニネベとは反対の方へ逃げ出すかも知れません。けれども、そのような弱い私にも、主は眼差しを向けておられます。

 三度否んだペトロを見つめられたあの主イエスの眼差しです(ルカ福音書22章61節)。それは、「そら見ろ、前もって言っておいたとおり、やっぱり裏切っただろう、わたしは嘘を言わないのだ」というような目ではなく、「信仰が無くならないよう、あなたのために祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(同22章32節参照)という、愛と恵みに満ち溢れた眼差しでしょう。

 その眼差しに支えられ、励まされてペトロは再び立ち上がることが出来ました。主はその眼差しを私たちにも向け、弱い私たちを労わり、励ましてくださっているのです。だからこそ詩人は、「主を、わたしは避けどころとしている」と言うのです。

 御目をもって私たちを見通しておられる主の憐れみに依り頼み、愛をもって「恵みの業」なる「正義」(ツェダカー)を実現される主の御言葉に従って、日々歩ませて頂きましょう。

 主よ、私たちは自分一人でしっかりと立っていることは出来ません。常にあなたの助けを必要としています。問題に遭遇するたびに主を仰ぎ、御言葉に耳を傾け、主の導きに従うことが出来ますように。恵みと導きが絶えず豊かにありますように。 アーメン