「わたしたちはわたしたちの神に祈り、昼夜彼らに対し、彼らから身を守るために警戒した。」 ネヘミヤ記4章3節

 ネヘミヤらが神の御旨に従ってエルサレムの城壁を再建していると聞いて、サンバラトたちは憤慨し、ユダの人々を嘲笑しました(3章33節以下)。ネヘミヤらは神に依り頼みつつ(同36,37節)、工事に励み、城壁を高さ半分まで築きました(同38節)。それを知って憤ったサンバラトにトビヤ、アラブ人、アンモン人、アシュドドの市民は、工事を妨害するため、エルサレムに攻め上り、混乱に陥れようとします(1,2節)。

 サンバラトが総督をしているサマリア(即ち北方)の兵に加え(3章34節)、南方のアラブ人、東方のアンモン人、そして、ペリシテに代わって西方を支配しているアシュドド人と、エルサレムと南ユダの包囲網が造られました。 

 自分たちを包囲する敵のあの手この手の妨害で、ユダの人々の心はすっかり挫かれてしまいました。「もっこを担ぐ力は弱り、土くれの山はまだ大きい。城壁の再建など、わたしたちにはできません」と言い始めます(4節)。エルサレムの城壁を築くのは重労働だったと思いますし、その上、敵の攻撃に備えなければなりませんでした。

 皆が心合わせ、一致してことにあたるからこそ、城壁が再建されて来たのです(3章38節)。意気阻喪してしまえば、サンバラトらに対抗できません。しかも、敵は、密かに侵入して来て工事を担当している人々を殺害し、工事をやめさせようとしていました(5節)。

 彼らは、ネヘミヤらの姿が見えないときに、日に十度も攻めて来たと言います(6節)。13,14節との関連で、ゲリラ的に様々なところで攻撃を仕掛け、ネヘミヤがそちらに守備隊を差し向けている隙に、別の箇所を攻撃するということが繰り返されていたと考えられます。そのようにして、城壁の修復工事に集中出来ないようにしていたわけです。

 また、日々の生活のための苦労もあったでしょう。妨害者の攻撃を防ぐ城壁が十分でない中で、安定した生活を営むことは、極めて困難です。城壁を築くことは重労働、敵の妨害はある、その上平和で安定した生活が営めない、まさに三重苦ですね。

 その中で、冒頭の言葉(3節)のとおり、ネヘミヤは立って神に祈りました。順調にことが進むときにも、神の御旨を求めて祈るネヘミヤです(2章4節)。問題が起これば、さらに熱心に祈ったことでしょう。ネヘミヤの祈りとは、単に自分の願いをかなえてくれるようにというものではなく、どこまでも神の御旨を求め、その御旨が実現して、神の栄光が表されるようにということだったのです(3章36節以下も参照)。

 祈って立ち上がったネヘミヤは、城壁外の低いところやむき出しの部分に戦闘員を配置し(7節)、「敵を恐れるな。偉大にして畏るべき主の御名を唱えて、兄弟のため、息子のため、娘のため、妻のため、家のために戦え」と命じます(8節)。

 そして、民の半分を作業にあたらせ、他の半分は敵に備えるようにさせます(10節)。角笛で敵襲を知らせ、皆で立ち向かうようにもしました(12,14節)。その上で、「わたしたちの神はわたしたちのために戦ってくださる」(14節)と激励します。

 意気消沈している人々を励まし、立ち上がらせるのは、容易なことではありません。心挫けた者に、「敵を恐れるな」と言っても、それで敵への恐れがなくなるはずもありません。けれども、この言葉で、誰が自分たちの味方なのか、ネヘミヤは思い出させようとしているのです。

 かつて、エジプトの奴隷の苦しみから救い出してくださり、そして、バビロンの捕囚とされたユダの民を、その恥辱から贖い出してくださり、神殿を再建させてくださった偉大にして畏るべき主が、自分たちの味方となって、城壁修復工事をも完成させてくださるのだと(出エジプト記3章7節以下、ヨシュア記5章9節、歴代誌下36章21節以下、ネヘミヤ記2章30節など参照)。

 偉大な主、それは、天地万物を創造されたお方です(創世記1章、詩編8編、104編、148編など)。私たちは、この主なる神の深いご計画によって、この世に生きる者とされました。主は私たちのために、最善のものを用意していて下さいます。その知恵と力を、人間の物差しで測ることなど出来はしません。

 畏るべき主、それは、すべて命あるものを死に追いやるだけでなく、体も魂も地獄で滅ぼすことのお出来になる方です(マタイ10章28節)。私たちの心の奥底までも見通しておられるお方です(ローマ8章27節、黙示録2章23節)。どこに行っても、この方から逃れることは出来ません(詩編139編7節以下)。

 そのような偉大にして畏るべき主が、私たちに味方になってくださいました(ローマ書8章31節以下)。私たちに目を留め、恵みを注いでくださいます。私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。私たちの賛美を受け止めてくださるのです。

 だから、偉大にして畏るべき主の御名を唱えて戦えというのです。私たちの戦いは、主を礼拝すること、主を信頼すること、主に賛美と祈りをささげることを妨げようとする敵との戦いなのです。私たちも絶えず目覚めて、主の御名を唱え、賛美と祈りを、心から感謝をもって捧げましょう。主の祝福を祈ります。

 主よ、御名を崇め、心から賛美致します。どんなときにも私たちと共にいて、私たちを助け、導きをお与えくださることを感謝します。この月も、主の恵みが常に豊かにありますように。全世界に主イエスの平和がありますように。 アーメン