「わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。『わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります』と王に言っていたからである。」 エズラ記8章22節

 大祭司アロンの子孫で、ペルシャの書記官エズラ(7章1節以下、6,11節)の帰国に随伴した者は、2000名に満ちませんでした(8章2~14節)。彼らはアハワの川のほとりに集まり、部族毎の登録をしました。

 その場所は同定されていませんが、アハワの町とユーフラテスを結ぶ運河があったものと考えられています。そしてそこが、西方への旅を始める重要拠点だったのでしょう。

 そこで予め一行を調べてみたところ、レビ人がいないことが分かりました(15節)。そこで、随伴者の頭たちを遣わして、主の神殿に仕えるレビ人を送り出して欲しいと要請します(16,17節)。

 キュロス王の命令を受け(1章2節以下)、神に心動かされた者たちは、ゼルバベルらに導かれて帰国しました(同5節、2章)。アルタクセルクセス王の第7年、即ちBC458年にエズラ率いる一団がエルサレムに上ったと7章7節に記されており、それはキュロス王によるイスラエルの解放、即ち第一陣の帰国(BC538年)からからおよそ80年後ということになります。

 ということは、エルサレムが滅ぼされ、捕囚としてバビロンに連れられて行って、既に130年という年月が経過しています。イスラエルに戻っても、そこに親族がいるわけではありません。また、住む家が予め備えられているわけでもありません。その上、先住の異邦人との戦いに直面することもあるのです。となれば、イスラエルで苦労するよりも、引き続きバビロンで落ち着いた生活を続たいと考える者の方が多かったということでしょう。

 実際、エズラがペルシアの書記官になれたのも、彼の能力があればこそですが、その能力を発揮できる環境が、ユダヤの民にも与えられていたわけです。また、バビロンでは、神殿で献げ物をささげることがなかったわけですから、レビ人が祭司の補助としての務めを行うことはなく、世俗化して一般的な務めを持ち、資産さえ有するようになっていたかも知れません。

 そのような状況において、エズラがレビ人の同行を願ったのは、捕囚からの解放、バビロンからの帰還が、第二の出エジプトであるならば、第一の出エジプトにおいて神の契約の箱と幕屋、祭具などを持ち運ぶ役割をレビ人が担ったように、第二の出エジプトにおいても、重要な役割を担うべく、立ち上がって欲しかったのです。

 この旅が第二の出エジプトと捉えられるのは、2節以下の帰還民のリストの中で、ピネハスとイタマルという祭司族に、ダビデ一族という王家に続いて、12の一族が登録されていることにも示されます。王と祭司、それを補佐するレビ人に率いられて12部族が旅する、そして、約束の地イスラエルに入るという構図です。

 エズラの呼びかけに応えて立ち上がる者が出ました。「有能な人物」と称されるシェレブヤに、その子らと兄弟18人(18節)、ハシャブヤに、兄弟エシャヤとその子ら20人です(19節)。そこには、神の御手の導きがありました(18節)。彼らは、安定した豊かな生活よりも、主に従って、その使命を担うことを選び取る決意をしたのです。

 エズラは神の助けを喜びつつ、集まった人々に断食を呼びかけ、旅の無事を祈りました(21節)。特に断食を呼びかけたのは、この旅が必ずしも安全なものではなかったからです。そこには、盗賊の剣や獣の牙が待ち受けていたのです。

 エズラは、祭司、レビ人の中から12人ずつを選び、神殿への礼物としてささげられた金銀や祭具を、彼らの手に託しました。それは、銀650キカル(22.23トン)、銀の祭具100キカル(3.42トン)、金百キカル(3.42トン)などです(26,27節)。その重さもさることながら、たとえば、金100キカルは現在の価格にして170億円余りという、大変な価値のものです。

 エズラは、ペルシャの書記官として派遣されるわけですから、当然、道中の護衛を王に頼むことが出来たはずです。あるいは、王の方から護衛の兵を同行させようと言われていたのではないでしょうか。ネヘミヤ記2章9節では、ネヘミヤの帰国に際して、アルタクセルクセス王が将校と騎兵を共に派遣してくれたとあります。

 しかしながら、冒頭の言葉(22節)にある通り、エズラは王に護衛兵の派遣を要請することを恥とした、と言います。それは、「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手がさしのべられる」と、王に対して証しをしていたからだというのです。

 第二神殿建設の折、強力なペルシャの支援を受けました(6章1節以下、8,9節)。その背後には、神の御手があったのですが、今ここでエズラは、目に見えるペルシャの力ではなく、目には見えないけれども、背後にあって歴史を動かしておられる神のみに頼る道を示され、それを実行しようとしているのです。

 レビ人がエズラの呼びかけに応えたように、エズラは、神にのみ信頼を置いて、道を歩むことにしたのです。そのためにも、主の召しに応えるレビ人の参加がどうしても必要だったわけです。そして、主なる神はエズラの祈りを聞き入れられ(23節)、無事エルサレムに到着することが出来ました(31,32節)。

 私たちも、主イエスに属する者として、日々自分の十字架を背負って主に従う者にしていただきたいと思います。

 主よ、あなたの恵みと導きが私たちの上に常に豊かにありますように。それは、私たちがエズラの如く、「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手がさしのべられる」と語って主の愛と恵みの証し人となるためです。御名が崇められ、御心がこの地になされますように。そうして、全世界にキリストの平和がなりますように。 アーメン