「エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。」 エズラ記7章10節

 ペルシア王アルタクセルクセスの治世に、祭司エズラがエルサレムに帰って来ました(1節以下)。それは、紀元前458年頃のことと推定されています。ということは、エルサレム神殿が破壊されてから130年後、キュロス王の帰国・神殿再建命令が発布されてから80年後、そして、第二神殿完成からおよそ60年後のことです。

 バビロンからエルサレムまでおよそ1600㎞、ちょうど4か月の旅路でした(9節参照)。因みに、江戸城の無血開城に大きな役割を果たした天璋院・篤姫が江戸参府のとき、女中の警護の者200名余りを引き連れた1300㎞ほどの道程でおよそ2か月要しました。物見遊山を兼ねて少々のんびりした旅だったと言われます。

 エズラの旅に時間がかかったのは、15節以下にある通り、多額の金品を所持していることから、警護が物々しかったであろうということ、そして、献げ物のための雄牛、お羊、小羊、穀物にぶどう酒を買い集めて持参するという手間もあったからでしょう。さらに、8章には、レビ人を連れて行くために時間を要したことが記されています(8章15節以下)。

 1節後半から、エズラが大祭司アロンの子孫であることが、系図で示されます。その系図によれば、初代の大祭司アロンからエズラまで、合計17人となっています。しかしこれは、実際の数ではありません。アロンからエズラまで、ざっと800年以上の開きがありますから、30人近くいて当然というところです。

 また、歴代誌上5章27節以下に記されている大祭司の系図では、アロンからバビロンに連行されたヨツァダクまで23人の名が記されています。エルサレムが陥落した時、ヨツァダクの父セラヤが祭司長だったと、列王記下25章18節に記されています。つまり、セラヤが最後の大祭司で、ヨツァダクは大祭司になれなかったものと考えられます。ヨツァダクよりも後の系図は不明です。

 歴代誌の系図のうち、9人目のアマルヤから14人目のヨハナンまで、6人の名を除き、そして、最後のヨツァダクをエズラに変えるという手法で、エズラ記の17人の系図が作られたといってよいでしょう。ヨツァダク以降、エズラまでの間の子孫の名が省略されているのは、彼らが大祭司とならなかったからです。

 エズラ記の系図は、系図末尾のエズラと筆頭アロンを除く15人が、中間のアザルヤを挟んで、前後7人ずつに分けることが出来ますられます。つまり、エズラ、7人、アザルヤ、7人、アロンという順に並んでいるわけです。

 この系図で、エズラがアロンに連なる祭司の直系の子孫であることを示すと同時に、アロンが神に選ばれた最初の大祭司、そして、アザルヤはソロモンの神殿建築の時の大祭司(歴代誌上5章36節)であることから、エズラは、第二神殿が建てられて最初の大祭司となった、ということを示そうとしています。

 しかも、彼は表向き、祭司としてではなく、イスラエルの律法に詳しい書記官とされています(6節)。つまり、ペルシアの行政官に選ばれているのです。12節のアルタクセルクセス王の親書には、「天にいます神の律法の書記官」と記されています。即ち、ユダヤ関係担当者として、ペルシア王から派遣されて公式にイスラエルを訪問する訪問団の代表の務めを担っているわけです。

 王の親書には、①神の律法に従ってユダとエルサレムの事情調査をすること(14節)、②エルサレム神殿のために献金を持参すること(15,16節)、および、供え物を献納すること(17節)、③ユーフラテス西方の役人に対する神殿への銀、小麦、葡萄酒、油、塩の供給命令(22,23節)、④神殿に仕える者の免税(24節)、⑤司令官、裁判官を任命すること(25,26節)が記されています。

 つまり、これは、イスラエルの律法、祭儀をよく知っている内容となっているわけです。ということは、この親書を作成するのに、エズラが深く関与していたのであろうと思われます。

 どのようにして彼が書記官の立場に就いたのか、分かりませんが、「神なる主の御手の加護」があったと、6節に記されています。バビロン捕囚という荒れ野を経験することで練り鍛えられ、新しい主の民イスラエルを建て上げるために、その力と知恵が用いられるのです。

 エズラは、大祭司という家系を示し、ペルシアのユダヤ担当書記官という立場でエルサレムに派遣されましたが、冒頭の言葉(10節)のとおり、彼の働きは、主の律法を研究して実行し、イスラエルの民に掟と法を教えることでした(10節)。

 帰国したエズラは先ず、主の律法を研究しました(9,10節)。彼は既に律法に精通していましたが、主の民に教えるためにさらに深く学んだのです。そして、それを実行しました。エズラにとって、神の掟と法を学ぶことは、単なる法律の研究ではありません。神の御心を探り知ることでした。だから、神の御旨が分かったとき、彼はそれを実行し、民に律法を教えたのです。

 初めに、キュロス王の命により、第二神殿を建築するためにユダヤの民の帰還が行われ、次いで、アルタクセルクセス王の命により、律法に精通した書記官であり、大祭司であるエズラの一行が派遣されて、神の民イスラエルが整えられて行きます。

 ゆえに、冒頭の言葉(10節)の「教えることに専念した」というところに、エズラの強い意思が表われています。主の御心を学び、それを行うこと以外に、イスラエルを主に属する民として活かす道はない、とエズラは考えていたのです。

 主イエスも、山上の説教の最後に、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている」と教えておられます(マタイ福音書7章24節)。私たちは日毎に御言葉を頂いています。主の御言葉を深く学び、実行する者としていただきましょう。主の導きを祈ります。

 主よ、あなたはご自分の民を礼拝の民として整えるために、祭司エズラをペルシアの書記官として立て、王に命じさせてエルサレムに派遣されました。万事を益とされる主の御名を崇めます。今日も御言葉に耳を傾け、御心を学びます。日々、主の御業に励む者としてください。御心がこの地になされますように。 アーメン