「神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。」 列王記上5章9節(口語訳、新改訳は4章29節)

 神はソロモンに、冒頭の言葉(9節)のとおり、豊かな知恵と洞察力、広い心をお授けになりました。それは、かつて神が、「見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない」と約束されていたとおりでした(3章12節)。

 当代随一の知恵者としてその名が知れ渡ったソロモンのもとに(10,11節)、その知恵を聴くために世界中から使節が押し寄せ、近隣諸国からの貢ぎ物で豊かにされました(1,14節)。この豊かさも、神の知恵を求めたソロモンに、神が加えて与えると約束されていたものです(3章13節)。

 ソロモンは、この豊かな知恵と富を用いて、一大事業を興します。それは、神殿建築です(15節以下)。そのために、ティルスの王ヒラムと条約を結んで、木材を確保しました(20節以下)。ティルスに毎年提供することになった小麦2万コルは(25節)、貢物として日毎に納められた小麦粉60コルの1年分に相当します(2節)。つまり、国庫に入って来た貢物の小麦を、そのままヒラム王に提供するわけです。

 また、イスラエル全国から神殿建築のために3万人の労働者を徴用し、1万人ずつティルスに送って(27節)、杉材を切り出させます。他にも、荷役の労働者7万人、石を切り出す労働者8万人がいました。この石工の働きによって、石材も調達出来ました(31,32節)。

 ここに記されている労働者の数は、ソロモンがいかに壮麗な神殿を築こうとしているかを雄弁に物語っています。5年前、大牟田で新会堂建築の業に関わらせていただきましたが、建築工事においでくださっていた業者は、毎日多くて7~8人ほどでした。工期は7か月半、225日です。そうすると、延べ1800人ということになりますが、ソロモンの神殿建築との差は歴然ですね。

 ダビデによって長い間続いた近隣諸国との戦いに終止符が打たれ、広く平和が確立された今(17,18節)、ダビデの時から待望されていた神殿の建築が、ようやく始められるようになったわけです(19節)。ですから、徴用される者たちの方でも、勇んで労務に参加するという状況ではなかったかと思います。

 神はかつてモーセに、「王は馬を増やしてはならない」、「王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない」という、王に関する規定を授けられました(申命記17章16,17節)。ダビデが民の数を数えようとして咎められたのと同様(サムエル記下24章)、多くのものを持つことで安心しようとしたり、それを誇ろうとすることは、神を信頼せず物量に頼り、神の栄光を盗むことと考えられているわけです。

 ソロモンは、既に戦車用の馬の厩舎4万、騎兵1万2千を有しています(6節)。厩舎が4万ということで、そこに馬がどれだけいたのか分かりませんが、仮に、一つの厩舎に戦車一台分の馬がいたとして、4万台の戦車があったことになり、騎兵1万2千と合せて、それらは周辺諸国とは比較にならない数の多さです。

 ですから、並ぶ者なき知恵を授けられたソロモンは、加えて与えられる富を、これ以上馬や騎兵、戦車を増やすために用いたり、金銀を蔵に大量に蓄えるというのではなく、神に栄光を帰すために、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして主なる神を愛し、礼拝するための神殿建設に用いることにしたということでしょう。言い換えれば、そのようにする者であるからこそ、霊的にもまた経済的にも豊かな祝福を得たといってよいでしょう。

 復活された主イエスが天にお帰りになるとき、手をあげて弟子たちを祝福されました。祝福しながら天に昇って行かれたのです。主イエスを見送った弟子たちは、大喜びしたと記されています(ルカ24章50~52節)。主イエスとお別れするのは悲しく辛いことだったでしょうけれども、主イエスの祝福、聖霊の力が弟子たちを喜ばせていたのです。

 そして、彼らは絶えず神殿で神をほめたたえていました(ルカ24章53節)。原語では、「祝福する」(50,51節)と「ほめたたえる」(53節)とは、同じ言葉(ユーロゲオウ)です。つまり、主イエスの祝福を受けた者が主イエスを祝福する、主イエスに祝福をお返しする、それが、「ほめたたえる」という言葉なのです。

 ソロモンが、神から受けた豊かな祝福によって神殿を建てようとすること、それが、豊かな恵みをお与えくださる主にその祝福をお返しすることであり、そのことを通して主をほめ讃えるのです。

 私たちも、日毎に主の豊かな祝福を受けています。主に栄光をお返しし、心から主に唇の実、賛美の生け贄をささげましょう(ヘブライ書13章15節)。

 主よ、あなたの慈しみはあまりにも豊かで、量ることが出来ません。私たちを常に最善の道に導き、その恵みを味わわせてくださっています。私の魂は主を賛美します。主は私の魂を贖い、主を避け所とする者を罪に定められることがないからです。どのようなときにも主を讃え、絶えることなく賛美を歌います。全世界で主の御名が崇められますように。 アーメン