「ヨヤダの子ベナヤ、軍の司令官。ツァドクとアビアタル、祭司。ナタンの子アザルヤ、知事の監督。ナタンの子ザブド、王の友で、祭司。」 列王記上4章5節

 ソロモンは、祭司アザルヤ、ツァドク、アビアタル、ザブド、軍の司令官ベナヤなど、11人を高官として任命しました(2節以下)。その下に12人の知事を置き、王室の食料を調達する機構を整えました(7節以下)。これは、ダビデ時代にはなかった部門で、国家機構が王のもとで充実して来ています。

 ただし、知事として名が挙げられているのは11人で、19節に、「この地にもう一人の知事がいた」とあって、名が記されていません。ギレアドの地に知事が二人いたということでしょうか。そして、彼らが担当している地域には、ユダの地が入っていません。つまり、食料調達機構にユダ族の人々は組み入れられていなかったということです。ということは、7節のイスラエルは、ユダを除くという意味で、北イスラエルを指すことになりそうです。

 11人の高官のうち、補佐官ヨシャファト、軍の司令官ベナヤ(ダビデ時代は傭兵の監督官)、祭司ツァドクとアビアタルは、ダビデ時代の高官でもありました(サムエル記下8章16節以下、20章23節以下)。これは、王国としての体制が安定して続いている明確なしるしといってよいでしょう。

 そして、前述のとおり、ツァドクの子アザルヤ(2節)、ツァドクとアビアタル(4節)、ナタンの子ザブド(5節)の4人が祭司です。筆頭のツァドクの子アザルヤが、大祭司の役割を担ったのでしょう。ツァドクとアビアタルはダビデ王の時代からの祭司であり、ザブドの父ナタンは、ダビデに仕えた預言者でした。そのように神を畏れ、神に従う祭司たちがソロモン王の四方を固めています。

 ナタンの子ザブドは、「王の友」(5節)と呼ばれていることから、ソロモンの相談相手を務めていると言えます。ナタンは、ダビデの罪を鋭く追求した預言者です。ソロモンはその子ザブドに、自分の考えを支持するイエスマンを願っているのではなく、是は是、非は非とはっきり意見してくれることを期待していたわけです。

 この人事を見ると、かつてダビデが、「神に従って人を治める者、神を畏れて治める者は、太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光」(サムエル記下23章3~4節)と詠ったように、ソロモン自身も、神に従い、神を畏れて国を治める者でありたいと考えていることが分かります。そして神は、まさしく太陽が輝き出る朝の光のごとく、ソロモンを豊かに祝福されたのです。

 このリストの中に、一つ驚くべきものがあります。それは、祭司アビアタルの名前です。彼は確かにダビデの代から忠実に仕えてきた祭司でした。しかしながら、ソロモンは先に、「お前は死に値する者だ」といって、アビアタルを祭司の座から追放し、アナトトの地に帰らせたのでした(2章26~27節)。これは、アドニヤを王としようとしたことに対する報復人事といってよいでしょう(1章7節参照)。

 その背後に、ツァドク家とアビアタル家の、大祭司の座を巡っての争いがあったと見る向きもあるようです。いずれにせよ、何故ここにアビアタルの名前があるのでしょうか。その理由は何も記されてはおりません。もう一度エルサレムに呼び戻されて、高官として直接ソロモンに仕えるようにされたとは、実際には考え難いところです。

 ただ、アビアタルの父アヒメレクとその家は、王に背いてダビデに手を貸したという無実の罪で、サウル王の命により、剣にかけて殺されたのです(サムエル記上21,22章)。そのとき、ただ一人難を逃れたアビアタルに、ダビデは自分の罪を認め、「わたしのもとにとどまっていれば、あなたは安全だ」と、保護するようになったのです(同22章20節以下)。

 その後、ダビデの子アブサロムの反逆の際にも、アビアタルはツァドク、フシャイと共に、ダビデのために意を用いて働きました(サムエル記下15章24節以下、30節以下、17章)。そのようなアビアタルの身の上や、アビアタルがダビデに示した忠誠を、ソロモンが再評価したのかも知れません。

 少なくとも、アビアタルを退けることを、父ダビデは喜ばなかったでしょう。父ダビデのゆえに神の慈しみを受けて、王となったと語っていたソロモンです(3章6節)。アヒメレクのゆえに、その子アビアタルに慈しみを施すことにしたと考えてもよいのかも知れません。

 私たちは、イエス・キリストの贖いの業、十字架の死に至るまで従順であられた主イエスのゆえに、一方的に神の憐れみと慈しみとを受けています。御霊に満たされ、絶えず感謝をもって主を賛美しましょう。

 主よ、あなたは恵みと慈しみに富む方です。イスラエルの野で羊を飼っていた少年を王として選び、その子に豊かな知恵を授けて、王国を堅くされました。それは、彼らの能力の故ではなく、神に従う素直な心の故でした。人は様々なことを計りますが、ただあなたの御旨だけが堅く立つのです。私たちも、御言葉に傾け、導きに素直に従います。私たちの心の目、耳を開いてください。御心を行う者としてください。御旨がなりますように。 アーメン