「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」 列王記上3章9節

 ソロモンが、ギブオンで千頭もの牛を焼き尽くす献げ物としてささげた夜(4節)、神がソロモンの夢に現れ、「何でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われます(5節)。何でも願えと言われたソロモンは、冒頭の言葉(9節)の通り、「民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください」と求めました(9節)。

 人の善悪の判断基準は、時と場合によって変わります。特に、他人には厳しいけれども、自分には非常に甘くなります。否、過ちをはっきり認めようとしません。そういう私が、どうして善と悪を正しく判断することが出来るでしょうか。正しい物差しが必要です。誰が正しい物差しを持っているのでしょうか。それは、主なる神です。だからこそ、ソロモンは神の御声を正しく聞き分ける心を求めたのです。

 聞き分ける心を求める言葉の前に、6節で、「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました」と、ソロモンは語っています。

 自分が王座につくことが出来たのは、何よりも神の慈しみによるのですが、それは、父ダビデが神の御前を、御言葉に従って忠実に歩んだから、主が豊かな慈しみを示され、それで、自分にも王位を受け継がせてくださったのだと言っているのです。

 そうであるならば、私たちの御言葉に聴き従う心も同様に問われ、それによって私たちの子孫にその影響が及ぶことになります。十戒の、「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」という言葉を思い出しました(出エジプト記20章5,6節)。

 そのように謙り、主に「聞き分ける心」を求めたソロモンを、神は喜ばれました(10節)。ですから、知恵に満ちた賢明な心だけでなく(12節)、求めなかった富と栄光、名声、長寿をも与えると約束されています(13,14節)。

 主イエスも、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらの(必要な)ものはみな加えて与えられる」(マタイ6章33節)と教えておられますが、ソロモンはその通りに行って、民の模範となりました。神と富に兼ね仕えることは出来ません。しかし、神に仕える者には、必要なものが十分に与えられるというわけです。

 ヨハネ福音書14章6節に、「わたしは道であり、真理であり、命である」という言葉があります。主イエスこそ、父なる神のもとに行く道です。人通りが絶えてしまうと、道は荒れ果ててしまいます。朝ごとに、主の御前に進みましょう。主の御言葉を聴きましょう。主と共に歩みましょう。

 主に従い、主の道を歩む者は、真理を悟り、自由を得ることが出来ます(同8章31節)。また、主イエスを信じる者は、死んでも死なない命の恵みに与らせていただくことが出来る、とも教えられているのです(同11章25,26節)。

 主イエスはさらに、「わたしの名によって願うことは何でもかなえてあげよう」と言われました(同14章13節)。これは、ソロモンに語られたのと同じですが、続けて、「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と仰いました(同14章16節)。

 つまり、「何でも願え」と言われた真意は、贖いの御業を成し遂げて天に携え挙げられる主イエスに代わり、「別の弁護者」を遣わし、永遠に私たちと一緒にいるようにして下さるように、私たちが父に願いなさいということです。

 「別の弁護者」とは、父なる神が主イエスの御名によってお遣わし下さる聖霊のことで(同14章26節)、真理の霊とも言われています(同14章17節)。パウロは、「聖霊に満たされなさい」と命じます(エフェソ5章18節)。信仰生活には、聖霊の満たしが必要です。それが神の御心だからです。

 そして、この方が来られると、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにします(ヨハネ16章7節)。ソロモンが求めた、「善と悪を判断することが出来るように聞き分ける心」とは、聖霊がお与えになる心、思いなのです。

 私たちもソロモンに倣い、主イエスの御言葉に従って聖霊に満たされ、神の御声を聞き分けることが出来るように祈りましょう。
 
 主よ、私たちに聖霊を注ぎ、満たしてください。聖霊の導きに従い、主イエスの道を歩みます。主との親しい交わりに加えてください。御言葉を聴き、祈りと賛美を通して主と交わることほど幸いなことはありません。日々、この豊かな恵みで私たちを養い、整えてください。主の御業のために用いられますように。 アーメン