「アヤの娘リツパは粗布を取って岩の上に広げた。収穫の初めのころから、死者たちに雨が天から降り注ぐころまで、リツパは昼は空の鳥が死者の上にとまることを、夜は野の獣が襲うことを防いだ。」 サムエル記下21章10節

 イスラエルで飢饉が三年間続きました(1節)。その原因は、この地方によくある干魃だと思われますが、ダビデが主に託宣を求めると、それは、「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある」という答えです。ギブオンはべニヤミン族の土地の中にある町ですが、ヨシュアの時代、この町のカナン人が巧みにイスラエルと平和条約を結んで、そこに住み続けていました(ヨシュア記9章参照)。

 サウルがいつギブオン人を殺したのか、サムエル記にはその記述はありませんが、「イスラエルとユダの人々への熱情の余り、ギブオン人を討とうとしたことがあった」(2節)とは、カナン人が国内に安住しているのはイスラエルとユダの人々のためによくないと考えて、それで、サウルは彼らを殺害したということでしょう。その罪が呪いとなって、3年続いて飢饉が起こったというわけです。

 それで、ダビデが罪の償いについてギブオン人に尋ねると(3節)、彼らは、「わたしたちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を謀った男、あの男の子孫の中から7人をわたしたちに渡してください。わたしたちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします」と答えました(5,6節)。

 ある註解者が、この話は、ダビデがサウル家に脅威を感じていて、それを合法的に取り除くために、どこにも証拠のない、飢饉が襲ったのはサウルの罪のためだという神の託宣があったことにしたのではないか。つまり、ダビデは冷酷な日和見主義者なのではないか。だから、16章8節でシムイが、「サウル家のすべての血を流して王位を奪った」と非難しているのではないか、と記しています。

 ことの真偽は不明ですが、王位を守るために不安の種を取り除いておこうとする行為は、ダビデ自身が自分の命をサウル王に絶えず狙われるという経験をしています。また、ヘロデ大王は、主イエスを亡き者にする目的でベツレヘム周辺の2歳以下の男児を殺させただけでなく、自分の最愛の妻や子どもたちも、自分の王座を狙っているという中傷、また疑心暗鬼のために殺しました。王というものが持つ悲しさ、愚かさでしょうか。

 いずれにせよ、ダビデは、サウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトを渡すわけにはいかないと考え(7節)、サウルの側女リツパの二人の息子と、サウルの娘ミカルの五人の息子を捕らえて(8節)、ギブオン人に引き渡しました。

 ダビデは、サムエル記上20章12節以下でヨナタンと、ヨナタンの家からダビデの慈しみを絶やさないこと、同24章22節でサウルと、サウルの子孫を断たないことを約束していました。リツパは側女であって、その子らはサウルの正統な後継者ではないということ、また、アドリエルに嫁したミカルの子らについても、サウルの後継者ではないということで、約束違反にはならないというのでしょう。

 ここで、ミカルの息子とありますが、実際にはミカルの姉メラブの息子たちのことでしょう。ミカルが結婚したダビデとの間に子はなく(6章23節)、また、アドリエルに嫁いだのはメラブです(サムエル記上18章19節)。

 ギブオン人は、7人の子らをギブアの山で一度に処刑し、主の前にさらし者にしました(9節)。その7人の遺体を、サウルの側女リツパが、冒頭の言葉(10節)のとおり、烏や獣の襲撃から守ったとあります。それは、「(大麦の)収穫の初めのころから、死者たちに雨が降り注ぐころまで」と記されています。

 「収穫の初めのころ」は、9節で、リツパの子らが処刑されたときです。「死者たちに雨が降り注ぐころ」とは、大麦の収穫後に降る雨となると、イスラエルにおいては、季節外れの雨ということになります。つまり、その雨は、干ばつが終わりを告げ、飢饉を脱したことを示すものです。ということは、ギブオンの人々の血の呪いが解けたということでもあります。

 そんな雨が降るまでということは、実際にどれくらいの日月であったのかは不明ですが、親が子を思うまさに献身的な愛情を、そこに見ることが出来ます。絶えず死体に群がってくる猛禽に立ち向かうというのは、生半可なことではありません。まったく親心の有り難さというものです。

 リツパの行動の報告を受けたダビデは(11節)、ヤベシュ・ギレアドの人々からサウルとヨナタンの遺骨を受け取り(12節)、そして、今回さらし者にされたサウルの子孫の遺骨を集め(13節)、それらを、サウルの父キシュの墓に葬りました(14節)。殺された七人の子に、罪はありません。サウルの罪の身代わりに、その呪いを受けたかたちです。

 私たちは、サウルの7人の子孫にはるかにまさる、神の独り子の血の贖いによって、雨のように降り注いでくる神の恵みに与ることが出来ます。そして主は、昼も夜もまどろむことなく眠ることなく、私たちの盾となり、絶えず右にいて、私たちを討とうとするすべてのものから守ってくださるのです(詩編121編4節以下)。

 この豊かな恵み、御子の命によって与えられる重い恵みを無駄にして、主の御言葉を聴くことの飢饉に陥ることがないように(アモス書8章11節)、常に心して主の御声に耳を傾けたいと思います。

 主よ、あなたの深い憐れみに感謝します。私たちが被るぺき罪の呪いを、神の御子キリストがすぺて身に負ってくださいました。あなたの恵みにより、今の私があるのです。その恵みに応え、その召しに従い、後ろのものを忘れ、前のものに向かって、ひたすら走ります。御名が崇められますように。この地に御心が行われますように。 アーメン