「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った。」 使徒言行録16章9節
パウロは、マルコと呼ばれるヨハネの一件で、前回の同行者バルナバと別れ(15章36節以下、39節)、シラスを連れて第二回目の伝道旅行に出発しました(同40節)。最初にデルベ、リストラに行き、そこでテモテという弟子を一緒に連れて行くことにしました(16章1節以下)。
それから、アジア州で御言葉を語ろうとして、聖霊にそれを禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通り(6節)、ビティニア州に入ろうとしますが、イエスの霊に妨げられたので(7節)、ミシア地方を通ってトロアスに下ります(8節)。
この旅程を巻末の地図で調べると、かなり不思議です。ガラテヤ、フリギア、アジアと進めばスムーズですが、アジア、フリギア、ガラテヤと逆順になっているわけです。あるいは、リストラからティアテラへ行き、そこから東に戻るという動きだったのかもしれませんが、よく分かりません。
いずれにせよ、ここに示されているのは、パウロの旅行計画を、神が変更させておられるということです。「御言葉を語ることを禁じた」というのは、伝道してはいけないということではなく、伝道地を変えなさいということだったのです。
また、7節に、「イエスの霊」という言葉があります。これは、聖書中1回しか出てこない表現です。聖霊とは別にイエスの霊があるというのではなく、主イエスが父なる神に願って遣わされた弁護者、真理の霊(ヨハネ福音書15章116,17節)ということでしょう。ルカがこの表現を用いたのは、パウロの伝道旅行を導いておられるのは、その聖霊を遣わして下さった主イエスご自身であるということを示そうとしているわけです。
とはいえ、伝道計画の変更を余儀なくされたパウロたちは、どんな思いだったことでしょうか。小アジアを西に東に移動し、腰を据えて伝道を始めようとするとストップがかかるというのは、どう判断してよいのか分からず、不安になることではなかったでしょうか。そのあたりのことは全く記されていないので、想像を膨らませるだけですが。
ところが、トロアスに下った夜、パウロは幻を見ました(9節)。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、わたしたちを助けてください」と言うのです。パウロはそれこそ神の導きと信じて、トロアスからマケドニアに向けて出発します(10節)。
これが、初めて主イエスの福音がヨーロッパにもたらされる瞬間です。アジアで、そしてビティニアで伝道が禁じられたのは、マケドニアに渡ることが神のご計画だったからです。そのため、マケドニアに渡るための最適地トロアスに導かれていたのです。
パウロは、マケドニア人が「わたしたちを助けてください」と語るのを、主イエスの救いを求めていると理解しました。主イエスの福音はユダヤ人だけでなく、すべての者を救うことが出来るからです(15章11節)。そして、主イエスによらなければ、ほかの誰によっても、その救いは得られないからです(4章12節)。
ここで、6節と10節の間に、記録に残されていない出来事があります。それは何かというと、6節ではパウロたち一行のことを、「彼ら」と呼んでいますが、10節を見ると、それが、「わたしたち」というように変化しています。これは、著者のルカが一行に加わったので、代名詞が「彼ら」から「わたしたち」に変化したわけです。
8節までの動詞は3人称複数形ですから、ルカがトロアスでパウロに出会い、一緒に行くことになったと考えられます。このときのパウロとの出会いが、ルカを救いに導いたと考えれば、そして、ルカ福音書、使徒言行録を著す者とされたと考えれば、ルカのためになされた旅程変更だったと言ってもよいことになります。
「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことが。だれが、神の定めを極め尽くせよう」(ローマ書11章33節)。道が閉ざされたように見えて、神はご自身の計画に従い、パウロを最善の道に導いておられたのです。万事を益とされる神に、栄光が永遠にありますように。
主よ、パウロは自分の計画ではなく、神の計画に従ってマケドニアに渡るように導かれました。それによってヨーロッパに福音が伝えられました。そして、地の果て、海の果ての日本にも福音が伝えられてきました。御言葉の約束どおりです。今も、救いを待っている人々がいます。私たちにも力と導きを与えて下さい。 アーメン
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