「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。」 使徒言行録13章1節

 アンティオキアの教会の目覚しい伝道の成果について聞いたエルサレム教会は、バルナバを派遣しました(11章22節)。それは、教会の健全な成長を願い、信徒たちを励ますためでした。バルナバはその使命を忠実に果たし、彼の働きによって多くの人が主に導かれました(同24節)。

 その後、サウロを探しに彼の郷里タルソに行き、アンティオキアに連れ帰って丸一年、一緒に働きました(同25節以下)。その結果、そこに素晴らしい教会が建てられました。そこで、弟子たちのことを人々は「キリスト者(=クリスチャン)」と呼ぶようになりました(同26節)。
 
 こうして基礎の固まったアンティオキア教会には、多くの指導者が立てられていました。その筆頭にバルナバ、そして最後にサウロの名が記されています(1節)。これはおそらく、年齢順でしょう。バルナバが最年長、サウロが最年少の指導者だったと思われます。

 その間の3名について、ニゲルと呼ばれるシメオンは、ニゲルがラテン名で「黒」を意味することから、アフリカの人だったのではないかと考えられ、そして、「シメオン」というヘブライ語名を持つユダヤ人ということで、主イエスの十字架を代わって担いだキレネ人シモンのことではないかと想像されています。

 また、キレネ人ルキオは、使徒言行録の著者ルカのことではないかという説があります。ただ、16章10節の、「わたしたち」で、ここからルカがパウロの伝道旅行に参加するようになったと考えられるので、ここは別人と考えるべきでしょう。

 マナエンとは、ヘブライ語のメナヘムという名前のギリシャ音写です。列王記下15章17節に、イスラエルの王メナヘムの名があります。メナヘムとは「慰める者」という意味があり、バルナバとの共通点を見るようです。「(領主ヘロデと)一緒に育った」(スントゥロフォス)という言葉は、口語訳では「乳兄弟」と訳されていました。家族のように、近しい関係というところでしょうか。

 領主ヘロデと近しい関係の人物までクリスチャンになり、しかも異邦人に伝道する教会の指導者になっているというところに、初代のクリスチャンたちがどんなに熱心に伝道したかを窺うことが出来ます。そしてそれが、ステファノの殉教をきっかけとして起こった大迫害であったことを思うと(11章19節)、神が聖霊の力を与えて、熱心な伝道を助け導いておられたということでしょう。

 彼らのことが、「預言する者や教師」と紹介されています。誰が預言する者か、誰が教師か、区別されていません。発展途上の教会が、その働きに応じて指導者たちを「預言する者」とか「教師」という肩書きで呼ぶようになっていったのでしょうが、それが教職制度として整備されるのは、もっとずっと後のことでしょう。

 「預言する」とは、文字通り、神の言葉を預かってそれを人々に語ることです。それは、聖霊の導きによって語り、働くことでした。アンティオキアの教会には、伝統や制度よりも、聖霊の導きに自由に従うという気風が満ちていたのでしょう。パウロが、「主の霊のおられるところに自由がある」と語っています(第二コリント書3章17節)。

 これは、パウロが、バルナバと共にアンティオキアの教会で学び、味わったことではないかと考えることが出来ます。その自由さの中で、ユダヤ人に対する伝道だけでなく、ギリシア語を話す人々、すなわち異邦人に対しても福音を伝えていこうという導きに与りました。そして、それが確かに聖霊の導きであったので、神がその伝道を助けて下さって、たくさんの人々が主イエスを信じるようになったのです(11章19~21節)。

 そして聖霊は、教会の指導者たちの中で中心的な役割を担っていたバルナバと、彼に見出されて売り出し中のサウロを、伝道旅行に派遣しなさいと語られます(2節)。それは教会にとって、簡単に、「はい、そうしましょう」と言える話ではないと思います。二人の抜けた穴を簡単に埋めることなど、出来ることではないからです。

 しかし、彼らは断食して祈り、聖霊の導きに従って二人を送り出しました(3節)。教会の使命が福音宣教にあること、その成果を自分たちのものに出来なくても神の導きに従い、主の喜ばれることをおのが喜びとすること、そして何より、神を畏れる信仰の姿勢が確立していたのでしょう(2章43節)。

 私たちも、その信仰を学ぶために、神の国と神の義とを第一に求める者となりましょう(マタイ福音書6章33節)。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する信仰を求めましょう(第一テサロニケ書5章16~18節)。御霊に満たされるよう、祈り求めましょう(エフェソ書5章18節)。御言葉に耳を傾け、主の導きに従いましょう。

 主よ、アンティオキアの教会のように、伝道する教会として下さい。真剣に御言葉に耳を傾け、御旨に従うことが出来ますように。人々の救いのために祈り、主の福音を伝えることが出来ますように。実を結ぶ者とならせて下さい。 アーメン