「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。」   使徒言行録11章19,20節

 8章には、ステファノの殉教に端を発した大迫害により、ユダヤとサマリアの全地に福音が告げ知らされたことが記されていました。19節以下の段落には、その後の展開が記されています。冒頭の言葉(19節)に、はくがいをきっかけとして、「フェニキア、キプロス、アンティオキア」と、国境を越えて散らされて行った人々による福音宣教が報告されています。

 ここに、1章8節で語られていた、「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という御言葉が実現している有様を見ることが出来ます。まさに、彼らが聖霊の力を受けていたので、迫害というマイナスを福音宣教の拡大というプラスに変えることが出来たのです。

 さらに、彼らは宣教地を拡大しただけでなく、宣教対象も拡大させました。当初は、「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」のですが(19節)、「キプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」のです(20節)。

 キプロス島は、バルナバと呼ばれているヨセフの出身地です。そして、キレネといえば、キレネ人シモンを思い出します(ルカ福音書23章26節)。バルナバやシモンの福音宣教により、キプロスやキレネ出身の人々が主イエスを信じるようになったのではないでしょうか。

 バルナバもシモンも、ディアスポラのユダヤ人です。そこで、キプロス島やキレネから来た者も、ユダヤ人だったのでしょう。彼らも最初はユダヤ人を対象に福音を伝えていました。けれども、導かれてギリシア語を話す人々、すなわち、異邦人に対する伝道を始めたのです。

 異邦人伝道については、8章26節以下に、フィリポがエチオピアの女王の高官に対する伝道が記されていました。さらに、10章1節以下で、ペトロがイタリア隊と呼ばれる部隊の百人隊長コルネリウスとその親類、親しい友人らへの伝道が記されています。

 一対一、一対複数の異邦人伝道から、ここに来て、教会による組織的な異邦人伝道へと働きが広げられています。21節に、「主がこの人々を助けられた」とあるように、異邦人を伝道の対象者としたこと、実を豊かに結ぶことが出来たのは、主のご計画であり、また主ご自身の御業なのです。

 アンティオキアは、パレスティナとシリアを結び、東方へと通じる隊商路にあたっており、また町を流れるオロンテス河を下れば地中海に出ることが出来、当時、通商貿易の中心地として栄えていました。ローマ、アレクサンドリアに告ぐ第三の都とも言われています。

 そこに、異邦人伝道を行う教会が作られました。後に、パウロとバルナバ、マルコ、シラスといった人々が、世界伝道旅行に派遣されます(13章1節以下、15章36節以下、18章23節以下)。国際都市に国際的な伝道を行う教会が建てられた背後に、聖霊の働きがあったことを、ルカは13章2,4節に明記しています(13章2,4節)。

 かくて、教会が成長していった背景には、迫害にも負けない熱心な伝道があったこと、ユダヤ人だけでなく、異邦人にも伝えようという自由さがあったこと、それは、聖霊の力、聖霊の導きによるものであったこと、そして何より、そのことがそもそもの神の御心であった(1章8節)ということを、教えられます。

 主イエスの御名によって立ち、歩む私たちも、聖霊の力、導きを受けて、主イエスの福音をつげ知らせる者にならせていただきたいと思います。

 主よ、エルサレムの教会に注がれた聖霊、アンティオキア教会を異邦人伝道へと導かれた聖霊が、この大牟田の教会にも豊かに注がれますように。伝道する教会とならせて下さい。主にあって多くの実を結ぶことが出来ますように。 アーメン