「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」 ヨハネによる福音書16章33節

 冒頭の言葉(33節)は、主イエスの「訣別の説教」(14~16章)の結語として語られたものです。1節には、「これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである」と記されています。これは、信仰から離れないようにという意味です。当時の人々が、信仰から離れる危険に直面させられていたからです。

 それは、「会堂から追放する」(2節)という脅しでした。会堂から追放されるということは、ユダヤ社会から締め出されることを意味します。「イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていた」(9章22節)、「会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった」(12章42節)というのは、当時の状況を描いており、そのために信仰を離れる人々も少なからずいたと思われます。

 訣別説教の前、13章で主イエスが弟子たちの足を洗って、互いに愛し合い助け合うようにと指導された直後、イスカリオテのユダの裏切りが予告され(13章21節以下)、さらにペトロの離反が予告されます(13章36節)。これは、二人の問題ではなく、私たちを含めすべての者が世の荒波に苦しめられること、自らの力でそれに打ち勝つことは、誰にも決してたやすいことではないということを、如実に示していると思います。

 そのために、「訣別の説教」は、「心を騒がせるな」(14章1節)という言葉で語り始められたのです。そして、結語において、「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい」と語られているのです(33節)。

 勿論、勇気を出せば何とかなるというものでもないでしょう。主イエスは、「わたしは既に世に勝っている」と言われましたが、目に見えるところでは、敗北としか言えない事態が進行します。この後、宗教指導者たちに抵抗することなく捕らえられ(18章12節)、有罪の証拠も示されないまま一方的に裁かれ(18章19節以下、38節、19章16節)、十字架の刑で命を落としてしまわれます(19章17節以下、30節)。

 大東亜戦争敗戦後およそ70年、キリスト教界は自らの戦争責任を告白し、戦争反対、核兵器廃絶を訴えてきました。また、国家による靖国神社護持や、自衛官の靖国神社合祀に遺族と共に反対の声を上げるなど、戦没者の政治利用に反対して来ました。

 今日、自衛隊が海外に派遣され、首相の靖国神社公式参拝が強行され、公立学校の児童・生徒に「愛国心」を圧しつけるため、教育基本法が改悪され、、秘密保護法を制定するなど、戦争の出来る国となる施策が次々と打ち出されています。憲法改正には時間がかかるとして、憲法解釈の変更という閣議決定で、集団自衛権の行使が可能だということにしようとしています。

 この流れに抗することが出来るでしょうか。その流れを逆転することが出来るでしょうか。3,11以来明らかになって来たメディアの報道姿勢、それによって動かされている社会状況を見ると、国全体が右に大きく傾いて、全体主義化、国粋主義化して来ていると思わざるを得ません。

 主イエスが、「わたしは既に世に勝っている」と言われたのは(33節)、それで、十字架にかからずにすむということではありませんでした。.弟子たちが裏切らない、背かないということでもありませんでした。それは、愛する者に裏切られようと、暴力をもって抹殺されようと、父なる神から委ねられた使命を全うすることです。

 そのことが、13章1節に、「イエスは、この世から父のもとへ移る自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」という言葉で表現されていました。考えられないような、理解を超えた愛で、私たちを愛して下さっているということです。この世は、何をもってしても、キリストのこのような愛に勝てなかったということです。

 パウロが、「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。・・しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」(ローマ書8章35~37節)と記しているとおりです。

 主は、背く弟子たち、裏切る弟子たちを責めたり、裁かれたりしてはいません。むしろ、心配して下さっています。彼らが苦難と直面しているからです。そして、世の暴力と弟子たちの離反に愛をもって勝利し、神の愛と平和へと私たちを招いて下さるのです。

 愛の主を信じ、自分に示されているところに従い、神の平和実現のために、出来ることを精いっぱい行っていきたいと思います。

 天のお父様、私たちの国を顧みて下さい。武力では真の平和を築くことができないということは、これまでの戦争の歴史が証明してくれています。日本と世界が歴史に謙虚に学び、武力によらず、国と国との誠実な外交努力を通じて、真の平和を築くことが出来ますように。まず私たちの心を神の愛と平和で満たして下さい。 アーメン