「こう言ってから、『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた。」 ヨハネによる福音書11章43節

 11章には、驚くべき物語があります。死んで四日もたち、既に腐り始めている死人が生き返ったという話です。その人の名は、ラザロと言います。ラザロというのは、エレアザルという名前の短縮形だと言われます。英語の名前でウイリアムをビルと呼び、ロバートをボブと呼ぶようなものです。エレアザルというのは、「神が助けたもう」という意味です。ユダヤ人に多くある名前の一つでした。

 ラザロには、二人の姉妹がいました。それはマルタとマリアという姉妹です(1節)。この二人は、ルカ福音書10章38節以下の段落とこの箇所の2箇所に登場します。ルカは、二人のいる場所を、「ある村」としていましたが、ヨハネは、それが、「ベタニア」という名の村であることを明らかにしています(1節)。

 二人から兄弟ラザロが病気であるという知らせが主イエスにもたらされますが(3節)、すぐに駆けつけようとはされず、なお二日その場所に滞在されました(6節)。それから出かけて行ってみると、既に葬られて四日もたっていました(17節)。ということは、すぐに出かけたとしても、死んで二日たっていたという状況であることが分かります。けれども、まるでラザロが死ぬのを待つかのように、そこに留まっておられるという行動をとられたわけです。

 マルタとマリアに出会って言葉を交わし、彼らが泣き、また共にいるユダヤ人たちも泣いているのを見て、主イエスは、「心に憤りを覚え、興奮」されたと記されています(33節)。そして、墓に行くときに、「再び心に憤りを覚え」られました(38節)。愛する者の死が主イエスの心に憤りを呼び起こしたのです。

 また、「イエスは涙を流された」(35節)という言葉も記されています。二人の姉妹の心に同調して下さったのです。何があっても動じないというのではなく、どこまでも私たちの心に寄り添って下さるという、主イエスの愛の心の現われです。

 墓の前に立たれた主イエスは、墓穴をふさいでいる石を取り除けさせ(39,41節)、天を仰いで祈られました。祈りの言葉を調べると、そこには、「ラザロを甦らせて下さい」という願いの言葉ではなく、「願いを聞き入れてくださって感謝します」という言葉があります(41節以下)。

 憤りを覚え、興奮された心で、あるいは、涙を流されたときに、その心のうちに、ラザロを癒して下さいという祈りがあったのかも知れません。そして、主イエスが天を仰がれたときに、神がその祈りを聞いて下さったという感謝が心に満ちて来たのでしょう。それが、言葉となって口をついて出たわけです。

 この後、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれると(43節)、彼は葬られたままの姿で、墓から出て来ました(44節)。腐乱した匂いが立ち込めたかもしれません。それは、昼間の時間帯でなければ、どれほどおどろおどろしい光景でしょうか。しかし、出て来たのは、愛する兄弟です。姉妹たちは、戦きつつも急いで布をほどき、体を洗ってやったことでしょう。それまでの失意、悲しみ、憤りが、どれほどの喜びとなったことでしょう。

 しかし、この後に何が起こったかということは、全く記されていません。それは、ヨハネ福音書において繰り返し語られているように、主イエスはご自分の力や考えで行動されているのではなく、常に父なる神の御心に沿って行動されているから、そしてまた、ご自分に栄誉を求めることを決してなさらないから、ということを明確に表していると言えます。

 人々は、主イエスの持つ権威がどれほどのものかを、目の当たりにしました。それは、死人の名を呼ぶと、死人がそれに答えるという、つまり生き返らせる力があるというものです。イエスはマルタに、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と言われましたが(25,26節)、そのとおりのことが起きたのです。

 10章4節に、羊は羊飼いの声を知っているので、羊飼いについて行くという言葉がありましたが、まるでラザロは、今まで死んでいなかったかのように、主イエスの言葉に応答しました。それはまさに、ラザロが主イエスの声を知っているからです。

 そしてここでも、主イエスとの関係、絆は、死をもってしても切れない、永遠のものであることが示されます。ここに、永遠の命の恵みがあります。そして、主イエスは今日も、親しく私たちの名を呼んで下さっているのです。

 主の御声に、「はい、私はここにおります」と答えましょう。主の名を呼び、心から礼拝をささげましょう。 

 主よ、あなたの御愛を感謝します。私はここにおります。主よ、語って下さい。御言葉を聴かせて下さい。命の恵みの中をあなたに従って歩ませて下さい。すべてを御手にお委ねします。御名が崇められますように。御国が来ますように。私たちを御霊に満たし、御心を行わせてください。 アーメン