「イエスは言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』」 マタイによる福音書22章37節

 34節以下の段落に、「もっとも重要な掟」という小見出しがつけられています。ある人がイエス様に、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうかと尋ねました(36節)。そのとき主イエスは、冒頭の言葉(37節)を引用され、「これが最も重要な第一の掟である」と言われました(38節)。この言葉は、申命記6章5節にあります。

 それに続けて、「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい』」と言われました(39節)。この言葉は、レビ記19章18節にある御言葉です。よく知られている重要な御言葉ですが、この「隣人愛」の規定が、献げ物や安息日などが規定されているレビ記にあるのは意外という方がおられるかも知れませんね。

 主イエスはこのように、最も重要な掟として第一、第二の掟二つを挙げ、そして、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」と結ばれました(40節)。「律法全体(トーラー)と預言者(ネビーム)」とは、旧約聖書のことです。旧約聖書は、神を愛することと、隣人を自分のように愛すること、この二つの教えに基づいて書かれた、つまり、この二つが聖書の中心だと、主イエスは仰ったのです。
 
 「神様を愛しなさい」、「隣人を愛しなさい」、どちらも「愛しなさい」という命令です。けれども、愛は命じられてするというものではないでしょう。愛しなさいと命令されたら、愛せますか。どうでしょう。

 なぜ、愛しなさいと命令されているのでしょうか。それは、命じておられる神様が、私たちを限りなく愛しておられるから、私たちを本当に大切だと思っていて下さるからです。その愛に気づくとき、神様に有難うと感謝する気持ちになるでしょう。それが、神様を愛することです。
 
 そして、隣人を愛しなさいというのは、神様が私たちだけでなく、私たちの周りにいる人々のことも愛しておられるということに気づくことです。そのことに気づいて、私たちも隣人を大切にすることが出来たら、本当に神様を愛していることになるのです。
 
 こういう面白い話があります。

 「一人の男の子がある日、夢を見ました。なぜか、町中の人の両腕が、ナイフとフォークになっていました。食事に好都合な腕です。ところが、町の人はみんな、おなかをすかしてプンプンと腹を立てています。理由を尋ねると、ひじが曲がらないので、フォークの先の食べ物が口に運べないというのです。確かに、ひじが曲がらなければ、腕を伸ばしたままの状態で食事をすることは出来ません。
 
 困ったなあと思いながら、男の子は、別の町に行ってみました。その町の人もやっぱり、両腕がナイフとフォークでした。でも、その町の人たちは、ニコニコしています。理由を尋ねてみると、その町の人々はちゃんと食事をしているそうです。この町の人も、同じようにひじは曲がらないのです。どうしたら食事が出来るのでしょうか。

 鍵は、愛です。愛があれば、問題を解決することが出来ます。確かに、一人では食べられません。けれども、人から食べさせてもらうことは出来ます。自分も他の人に食べさせてあげることは出来ます。その町の人は、みんなで仲良く食べさせてあげて、おなかいっぱいだから、ニコニコしていたわけです。
 
 もしも、自分の嫌いなものばかり、差し出されたら困ります。他の人に嫌いなものばかりあげたら、嫌われてしまいますね。そうならないために、どうしたらいいんですか。食べたいものを食べさせてもらえばいいんですね。そうして、お互いが気持ちよくなるように、相手のことを考えて、助け合うんです。
 
 助け合う気持ちを忘れて、皆がわがままをしたら、けんかになってしまいます。国と国とがけんかをしたら、戦争になります。戦争はイヤです。皆が仲良くしてほしいと思います。世界中が愛し合って、助け合って、皆が幸せになれるように、気持ちよくなれるように、努力してほしいと思います。

 神様が私たちを愛して下さったように、私たちも愛の神を愛し、そして、お互いに愛し合う者にならせて頂きましょう。 

 天のお父様、私たちを「神の子」とするために、どんなに大きな愛を与えて下さったことでしょうか。考えてみると、ただただ感謝のほかありません。本当に有難うございます。私たちも、神様から愛されているその愛で、神様が愛しておられる隣人、私たちの周りにいる人たちを心から愛する者とならせて下さい。神様の恵みと導きが、いつも豊かにありますように。 アーメン