「また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。『書き記せ。「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである」と。』霊も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。』」 ヨハネの黙示録14章13節

 ヨハネは、小羊がシオンの山の上に立っているのを見ます(1節)。5章6節に登場して以来、小羊は玉座の前にいました。それが、シオンの山、即ちエルサレムにいるということで、神を礼拝する場が天上の世界だけでなく、地上にも広げられています。

 しかし、そこで歌われた歌は、「地上から贖われた14万4千人の者たち」、つまり殉教して天に上げられた者たちのほかは、覚えることが出来なかったというのですから(3節)、地上にいる人には聞くことの許されていない賛美ということです。ということは、地上には神の勝利がいまだ実現していないことを示しており、これは、未来に起こることを先取りしているわけです。
 
 それから、三人の天使が地の裁きを宣言します(6節以下)。第一の天使は、いよいよ神の裁きが来たことを告げます(7節)。第二の天使は、大バビロン、即ちローマ帝国が倒れた、と告げます(8節)。そして第三の天使は、皇帝礼拝を行っている者に対する裁きを告げます(9~12節)。
 
 こう告げたあとで、「ここに神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である」と語られています(12節)。地の裁きを信じて、最後まで神の御言葉に従い、信仰を守り続けるように、という勧告です。ということは、前段と同じように、この裁きが起こるのは今すぐというのではないことが分かります。
 
 それから、天の声がありました。それが冒頭の言葉(13節)です。その声は、「『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と書き記せ」と言いました。信仰を守り続けて死んだ人、死に至るまで忠実であった人は、これから幸いな人と呼ばれることになります。

 この、「幸いである」(マカリオスの複数形)という言葉は、本書中2度目です。1度目は1章3節で、「この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである」と記されていました。守るべきものとは、ここでは、神の命令に従い、信仰を守り続けることと示されます。そうする者に対する祝福が、ここで約束されたのです。
 
 その約束は、「彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る」というものです。迫害する者の苦難から解放され、天の神の下にかくまわれるので、もはや苦しみを味わうことはありません。まったき安息に入れられます(ヘブライ書4章3節なども参照)。
 
 さらに、「その行いが報われる」と言われています。パウロも、「主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」と言いました(第一コリント書15章58節)。主が報いてくださるとすれば、それはどんなに大きな喜びとなるでしょう。

 私たちにとっては、天の恵みに入れられるだけでも素晴らしいことです。そこには、私たちの救い主がおられ、顔と顔を合わせるようにして交わることが許されます。それはどんなに感動的なものでしょう。

 そして、先に召された私たちの愛する家族や信仰の友がいます。みんな天使のような存在に変えられているというので(マタイ福音書22章30節参照)、どんなふうに変わっているのか、自分もそうでしょうけれども、天で再会できること、そこで新しい交わりが開かれることを信じられるのは大きな喜びです。
 
 神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続けて、幸いな者としていただきましょう。

 主よ、私たちには大きな希望があります。私たちは主イエスを信じて御国の民として頂きました。ゆえに、主の御顔を親しく拝することが出来ることが出来ます。また、先達と再会できます。そう信ずることが出来ることは、本当の喜ばしいことです。感謝です。私たちも、死に至るまで忠実に信仰を守ることが出来ますように。 アーメン