「どこにいますのか、わたしの造り主なる神。夜、歌を与える方。地の獣によって教え、空の鳥によって知恵を授ける方は。」 ヨブ記35章10,11節

 エリフは言葉を続け(1節)、再度、「神はわたしを正しいとして下さるはずだ」(2節)というヨブの発言を問題にして、「あなたが過ちを犯したとしても、神にとってどれほどのことだろうか」(6節)、「あなたが正しくあったとしても、それで神に何かを与えることになり、神があなたの手から何かを受け取ることになるだろうか」(7節)と語ります。

 つまり、ヨブの正しい振る舞いで神を益することは出来ない、それによってよい報いを期待するのは間違っているという論法です。これは、これまでのヨブや三人の友らと異なり、よいことをすればよい報いが、悪いことをすれば悪い報いがあるという因果応報の論理とは異なる考え方です。

 「抑圧が激しくなれば人は叫びを上げ、権力者の腕にひしがれて、助けを求める」(9節)とは、時の権力などによる抑圧で人々は叫び声を上げるという一般論を述べ、そして、冒頭の言葉(10,11節)のとおり、「しかし、だれも言わない、『どこにいますのか、わたしの造り主なる神、夜、歌を与える方。地の獣によって教え、空の鳥によって知恵を授ける方は』と」と述べて、謙遜に神に助けを求める者がいないと評します。

 叫び声を上げ、助けを求めてそれが答えられないのは、そのように謙って神を尋ね求めないからで、それは、「悪者が高慢にふるまう」ことだと結論づけています(12節)。ヨブの苦しみの原因が何であれ、ヨブに求められる姿勢は、自分はこのような苦しみに遭う理由がわからないというのではなく、「わたしの造り主なる神はどこにおられますか」と、謙遜に尋ね求めることだというのです

 そして、「あなたは神を見ることができないと言うが、あなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ」と言います(14節)。ヨブが空しく口を開き、愚かなことを言い続けられるのは、神が裁きの時が来るのを待っておられるからで(15,16節)、ただ沈黙しておられるわけではないということです。

 あらためて、エリフは冒頭の言葉で神を、「わたしの造り主なる神。夜、歌を与える方。地の獣によって教え、空の鳥によって知恵を授ける方」と紹介しています。ヨブは、自分の被った災難から解放されないことについて、神の義を問題にしていますが、神は創造された天と地、地の獣や空の鳥を通して、つまり、どのようなことからでも、その意味と目的を学び、真理を悟ることが出来ると、エリフは考えているのです。

 エリフの言葉は、聞くべきものであると思いますが、しかし、苦しみの中にいるヨブの心に、彼の言葉がどのように響くでしょうか。慰めとなり、励ましとなるでしょうか。因果応報の論理で責め立てられて、強く反発したように、よい行いをしたからと言って、よい報いを期待することは出来ないというエリフの言葉に、それでは、どうすればこの苦しみから逃れられるのか、と反論してくるのではないでしょうか。

 エリフ自身が語っているように、ヨブの訴えは神の御前にあります(14節)。神はどんな言葉も受け止めて下さいます。しかし、未だ怒りの時が来ていないので、神が聞き過ごしておられるということではないでしょう(15節参照)。神はその訴えを無視しておられるのではなく、むしろヨブの傍らに寄り添い、思う存分語らせて、そのすべての思い、願いに静かに耳を傾けて下さっているのです。

 改めて、冒頭の言葉(10節)で神について、「夜、歌を与える方」と語られています。なぜ夜に歌が与えられるのでしょうか。それは、夜、神の恵みを味わうからでしょう。勿論、夜になればいつでも自動的に恵みを味わうなどということではありません。苦しみ、悩みで眠れない夜を過ごすことがあります。そうしたとき、深く孤独を味わうものです。けれども、そのときに神に出会う経験をするのです。そして、そこで嘆きが歌に変えられるのです。

 フィリピ伝道の初めに無実の罪でむち打たれ、投獄されたパウロとシラスが、「真夜中ごろ」、「賛美の歌をうたって」、神に祈りました(使徒言行録16章25節)。それは、まさに神の導きだったわけです。

 神は、私たちの苦しい、辛い状況を、遠く離れたところから見下ろしておられるお方ではなく、私たちに傍らに来て、私たちに代わってそれを背負い、私たちを癒して下さるお方なのです。

 教会員のS兄が、かつては障害者に産んだ親を恨みに思っていたけれども、今では、そのような体が与えられたことを神に感謝していると言います。その障害のゆえに、神を信じる者となりました。彼は、神のまなざしを通して自分の現実を見たとき、そこに神の恵みがたたえられていることを知ったのです。

 主よ、あなたはエリフが語るとおり、泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださるお方です。私たちの嘆きを踊りに変え、荒布を脱がせ、喜びを帯としてくださいます。悲しむ者に深い慰めをお与えくださる主の恵みと平和が、全世界に豊かにありますように。 アーメン