「ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。」 エステル記9章22節


 第12の月(アダルの月=私たちの暦で2~3月頃)の13日が来ました。この日は、ハマンがモルデカイのことで、ユダヤ人を征伐しようとした日でしたが、立場が逆転して、ユダヤ人が仇敵を征伐する日となったのです(1節)。

 ユダヤ人に対する恐れ、モルデカイの日の出の勢いに恐れをなして、立ち向かう者は一人もいないだろうと思われましたが(2,4節)、この日、スサの町では500人の者が剣にかけて殺され(5,6節)、ハマンの息子10人も殺されました(7~10節)。

 ハマンの息子たちを中心として、ハマンの処刑に対する報復行動があったのではないでしょうか。また、ハマン以外にも、ユダヤ人に対する反感のようなものを持っている人々が、いたのでしょう。あるいは、ユダヤ人モルデカイが王の栄誉を受けていることを妬ましく思う輩が、蜂起したのかも知れません。

 諸州の高官、総督、地方長官、王の役人たちは皆、モルデカイに対する恐れから、ユダヤ人の味方になっていましたので(3節)、ユダヤ人たちは敵対する者をすべて討ち滅ぼすことが出来ました。その数は王国全体で7万5千人と記されています(16節)。ペルシアによるバビロン捕囚の解放で帰国したユダヤの民が4万2千人あまりでしたから(エズラ記2章64節)、7万5千人は思いがけず大きな数字です。

 しかし、ユダヤ人たちが自分たちの思いに任せて行動していれば、男だけでなく女も子どもも皆殺しにし、家を焼き、その財産を奪い尽くすというようなことになったと思われますので、死者はこの数倍にもなったことでしょう。けれども、ユダヤ人たちは、敵対者の財産に手をつけなかったという報告から(10,15,16節)、敵対しない者を討つようなこともしなかったといってよいでしょう。

 こうして、ユダヤ人たちはペルシャ帝国内で安らぎを得、この日を喜びと祝いの日としました(17節以下)。冒頭の言葉(22節)のとおり、彼らにとって、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わったのです。最悪となるはずの日が、最高の日になりました。

 当初ハマンがこの日を「プル(くじ)」で決めたことに因んで「プリム」と呼び(24,26節)、プリムの祭りを祝うことを定めました(27節)。そして、この祭では、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることにしました(19,22節)。

 「祭」という字は、「肉月」が神に供えるいけにえ、「又」がいけにえを持つ手、「示」が神、または供えることを表わしていて、いけにえの肉を神に供えるという意味を持っています。つまり、祭の中心は、神に対していけにえを献げることなのです。たとえば、レビ記23章には、「主の祝祭日」の規定がありますが、それらの日にささげるべき献げ物についても、記されています。

 けれども、プリムの祭では、特に神を礼拝する儀式が行われるような定めはありません。むしろ、喜びの日として、祝宴を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換するのです(18,19節)。

 同様に、キリスト教会で行う礼拝はキリストの受難と復活を記念して行われますが、いけにえに注目が集まることは少ないと思います。そのいけにえとは、神御自身が用意された「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1章29節)なる神の独り子イエス様です。

 私たちは、十字架という祭壇に御自身を献げられた贖いの供え物主イエス様により、罪赦され、永遠の命を授けられ、神の子とされたのです。ゆえに、主への感謝と賛美をささげ、主の日を喜び祝うのです。

 今私たちを取り巻いている状況がどうであれ、私たちの人生の土台には、悩みを喜びに、嘆きを祭りに変えて下さる主がいて、絶えず喜び、どんなことも感謝出来るようにして下います。

 主イエス・キリストによる救いに与った者として、主なる神に対して霊と信実をもって礼拝をささげる真の礼拝者とならせていただきましょう。心から、唇の実、主をほめ讃える賛美のいけにえを献げましょう。

 主よ、十字架の贖いを通して、どんなマイナスもプラスに変えられる救いの道が開かれました。真理であり、命であられる主イエスの道を、永遠の御国目指してまっすぐに進みます。主を信じる者の上に恵みと慈しみが常に豊かにありますように。 アーメン