「こうしてハマンは、自分がモルデカイのために立てた柱につるされ、王の怒りは治まった。」 エステル記7章10節
 
 王妃エステルが主催する2度目の酒宴に、ハマンと共に臨んだクセルクセス王は(1節)、前回同様、「何か望みがあるならかなえてあげる」と言うと(2節、5章3,6節参照)、エステルから思いがけないことが告げられました。それは、王妃と王妃の民族は、殺され、絶滅させられそうになっているので、自分と自分の民族の命を助けて欲しいという願いです(3,4節)。

 ペルシアでは、首相ハマンの進めるユダヤ人絶滅計画が、その開始のときを待っていました(3章6節以下)。それは、王が実行許可を与えたものです(同10,11節)。しかしながら、王は、ハマンが絶滅させようとしているのが、ユダヤ民族であることを知らなかったのかも知れません(同8,9節)。

 また、エステルがユダヤ民族の一員であることは、それまで秘密にされていました(2章10,20節)。ですから、命の恩人であるユダヤ人モルデカイに栄誉を与えよとハマンに命じたとき(6章参照)、王はモルデカイが属するユダヤ民族の絶滅計画を変更したり、取り消そうとはしていません。

 王は、「一体、誰がそのようなことをたくらんでいるのか」と尋ねました(5節)。エステルは、「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます」と答えました(6節)。それで王は、ハマンの計画を正しく理解したわけです。

 しかし、すぐにハマンを断罪しません。怒って立ち上がりましたが、そのまま庭に出て行くのです(7節)。王が何を考えていたのか、記されていません。ただ、自分が詳細を知らないまま許可した計画で、王妃がハマンに殺されるところだったと知って憤りはしたものの、エステルとハマン、王妃と首相、どちらをとるべきか、頭を冷やして考えようとでも思ったのではないでしょうか。

 そもそも、王は自分の言うことに従わなかった前王妃ワシュティを、あっさり切ることの出来た人物です(1章19,21節)。また、ハマンが巨額の献金をもって一民族の根絶を進言したとき、それはどんな民族か確認しないまま、許可を与えた人物なのです(3章9,10節)。

 ところが、王が王宮の庭から酒宴の席に戻ってくると、ハマンがエステルのいる長椅子に身を投げかけていました(8節)。ハマンはエステルに命乞いをし、王に口添えを頼もうとしていたわけですが(7節)、王には、ハマンがエステルに言い寄っているように見えたのです。王は、「わたしのいるこの宮殿で、王妃にまで乱暴しようとするのか」と言います(8節)、これで、ハマンの罪が確定しました。

 そのとき、宦官ハルボナが、「ちょうど、柱があります。王のために貴重なことを告げてくれたあのモルデカイをつるそうとして、ハマンが立てたものです。50アンマもの高さをもって、ハマンの家に立てられています」と告げました(9節)。命の恩人モルデカイへの悪意までも知った王は、即座に、「ハマンをそれにつるせ」と命じました(9節)。

 柱の高さは50アンマ、約23メートルあります。どこからもよく見えたことでしょう。ハマンは、すべての者が自分に敬礼するので、思い上がっていました。そしてただ一人、自分に礼をしないモルデカイとその民族を根絶しようと企みました。その結果、首相の座から引きずりおろされ、誰からもよく見える高い柱の上に自分の愚かな罪の姿を-さらさなければならなくなったのです。

 それは、私たちの罪の姿でもあります。かつて読んだ芥川龍之介の著書、「蜘蛛の糸」に登場するカンダタの、釈迦の垂らした蜘蛛の糸を独り占めしようとして、再び地獄に落ちていく姿に、自分自身を見る思いがしました。誰も、自分が何をしているのか知らずにいるのです。

 しかし、罪深い私に代わって、主イエスが木にかけられ、その呪いをご自分の身に受けつつ、「父よ、彼らをお赦しください」と執り成し祈られました(ルカ23章34節)。それによって、私の罪は赦され、王の王、主の主なる神の怒りが治まったのです。主の御名はほむべきかな。

 今日も、十字架の主を見上げ、その御足跡に従って歩ませていただきましょう。
 
 主よ、愚かで罪深い私のために、主イエスが贖いの業を成し遂げ、救いの道を開いて下さったことを感謝致します。今日も、全世界に主イエス・キリストの平和が豊かにありますように。御名が崇められますように。御心がこの地になりますように。私たちを平和の器として用いて下さい。 アーメン