「この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」 エステル記4章14節


 アダルの月(12月・・私たちの暦で2~3月)の13日にユダヤ人は一人残らず殺され、その財産は没収されるという王の勅令が発布され(3章12節以下)、その一部始終を知ったモルデカイは、衣服を裂き、粗布をまとって灰をかぶり、都の中に出て行って叫び声をあげました(1節)。ユダヤ人の間にも大きな嘆きが生じ、多くの者が同様に粗布をまとい、灰の中に座って断食し、悲嘆に暮れました(3節)。

 王妃エステルのいる後宮には、この勅書のことが知らされておりませんでしたので、モルデカイのいでたち、振舞を女官、宦官から知らされてエステルは驚き、人を遣わして粗布を脱がせようと、衣服を届けました(4節)。

 モルデカイはそれを受け取らず、遣わされた宦官ハタクに事の顛末を詳しく語り(6,7節)、スサで公示されたユダヤ人絶滅の勅書の写しを託し、併せて、エステルが王のもとに行って、自分の民のために寛大な処置を求めて嘆願するようにと伝言させます(8節)。

 エステルは、王の許可なく政を司る王宮の内庭に近づく者は殺されるという定めになっていること、自分にはこの一ヶ月、王の召しがないことを伝えました(11節)。それに対してモルデカイは、自分だけ王宮にいて死を免れると思うなと言い(13節)、冒頭の言葉(14節)の通り、この時のために、王妃の位にいるのではないかと迫ります。

 この時、モルデカイには確信がありました。それは、ユダヤ人の解放と救済が必ず起こるということです。そして、エステルは、それをするための器として、最もふさわしい場所に置かれているということです。

 だから、エステルがそのまま口を閉ざしていて何の働きもしなければ、他のところからユダヤ人の解放と救済が起こり、エステルとその家は滅ぼされるだろう(14節)、と言っているわけです。ということは、エステルが生きる道は、モルデカイの言うとおりに王のもとに行き、ユダヤ人救済の嘆願をするしかないわけです。

 エステルは自分の立場を理解しました。そして、決意しました。「スサにいるすべてのユダヤ人を集め、私のために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。私も女官たちと共に、同じように断食いたします。このようにしてから、定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」と、モルデカイに返事しました(16節)。

 何故、ユダヤ人滅亡の勅令が出されたのですか、それは、モルデカイが首相ハマンに敬礼せよという王の命令に従わなかったからです。それゆえ、エステルが王の定めに反して、ユダヤ人同胞のために命を懸けて王のもとに行き、寛大な処置を嘆願しなければならなくなったのです。

 1節でモルデカイが示した苦悩の姿は、勿論、自分と同族の身の上に降りかかる悲劇のためではありますが、同族救済のために死を賭して働かなければならない娘エステルことを思ってのことだったのではないでしょうか。そのためにこそ、エステルは王妃になったわけです。

 神はイスラエルを繰り返し助け、導いて来られました。その究極の解放と救済の業を、神の御子イエス・キリストが十字架の上で成し遂げられます。エステルの役割は、まさにこの主イエスの贖いの業を予め告げ知らせることなのです。

 そして、モルデカイがエステルに「王の前に行け」と命じたこと、それは、娘に「死ね」と命じることでした。ユダヤ人救済のために娘エステルに死を要求する父モルデカイは、私たちを救うために独り子を犠牲にする父なる神の姿を映し出しています。

 この主イエスの贖いによって私たちが解放と救済の恵みを味わったということは、一方で、神が命じられるところに行き、命じられることを行うという、従順な信仰が求められているということではないでしょうか。


 主よ、断食して王の前に出ようとするエステルの姿に、ゲッセマネで祈られた主イエスの御姿が浮かびます。私たちのために死んで下さった主イエスの救いの御業に与った者として、委ねられた使命を忠実に、感謝をもって果たすことが出来ますように。御業がなされますように。そして、全世界に今日も主イエスの平和が豊かにありますように。 アーメン