「総督は、ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで彼らが聖なる食べ物にあずかることを禁じた。」 エズラ記2章63節

 2章には、「帰還した捕囚の民」の一族ごとの数が記されています。リーダーはシェシュバツァルで(1章8,11節)、その他に、ゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、セラヤ、レエラヤ、モルドカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと11名の名が記されています(2節)。

 これら合計12名は、どのような立場の人物であるか命記されてはいませんが、12名ということで、イスラエル12部族の長という印象を与えようとしているのではないでしょうか。もっとも、アッシリアに滅ぼされた北イスラエル10部族は、アッシリア帝国の各地に散り散りにされ、その後の行方は分かっていません。

 また、帰国した人々の一族は、3節以下で、氏族や家族の名で数えられてはいるようですが、それは、たとえば21節のベツレヘム、25節のキルヤト・アリム、28節のベテルとアイ、34節のエリコなど、町の名前で一族が数えられているという特徴があります。

 これは、ヨシュア記13章以下で各部族に領地として割り当てられた地域が列挙されていたことに似て、各一族は神から与えられた嗣業の地と結びついて存在していることを示していると言ってよいでしょう。

 エルサレムに戻って来たのは、イスラエルの神、主の神殿を建てるために神に心を動かされた者たちでしたが(1章5節)、その中に、自分の家族と血筋がイスラエルに属するかどうか示せなかった者がいたという記述があります(59,61節以下)。

 バビロンとの戦いに負けて捕囚となり、50年の奴隷生活をしていたのですから、きちんと家系図を保管していて、求められればいつでも直ぐにそれを示すことが出来るというほうが驚きでしょう。また、神殿再建のために神に心動かされた者たちが帰国したのですから、家系は問題ではないのではないか、と言ってもよさそうです。

 しかし、彼らはそれを問題にしました。イスラエルが滅ぼされたのは、神との関係をいい加減にしたからです。今、神に促されて国を建て直す基礎を作ろうとしているところです。そのための神殿建築です。ですから、本当に主の民イスラエルの属する者なのか、神によって選び分かたれたレビの祭司の家系に属する者なのか、はっきりさせようとしているのです。

 その証拠を示すことが出来なかった者たちは、冒頭の言葉(63節)のとおり、「ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで」、祭司職に就くことが出来ませんでした。ここで、「ウリムとトンミムをつけた祭司」とは大祭司のことで、「ウリムとトンミム」は神の託宣を求めるのに用いるくじのようなものでした。

 つまり、大祭司が立って、彼らが主の民イスラエルに属する者であるのか、レビ族、祭司の家系に属する者であるのか、神に託宣を求め、真実を明らかにしようというわけです。そこで、証拠を示せなかった者たちが主なる神に属する者であるか、主の選び立てられた祭司の家系に属する者であるかどうか、大祭司を通して神御自身がお示し下さるのを待ったのです。

 今日、私たちが神に属する者であるか、神に選ばれた祭司の系統であるかどうかを示して下さる大祭司がおられます。それは、私たちの主イエス・キリストです(ヘブライ書2章17節以下参照)。私たちは主イエスによって、国籍を天に持つ者とされました(フィリピ3章20節)。キリストを信じて神に属する者とされた私たちの名が、天の命の書に記されているのです(ルカ10章20節)。

 そして、それを証明するのは私たち自身ではなく、私たちが主イエスを信じることが出来るようにして下さった聖霊です。聖霊は私たちに、「イエス様こそ私たちの主です」という信仰を与え(第一コリント12章3節)、そして、私たちが神の御国の世継ぎであることを保証して下さるのです(エフェソ1章13,14節)。

 絶えず感謝と賛美をもって歩ませていただきましょう。ハレルヤ!

 主よ、捕囚から戻った人々は、礼拝する民として、主の民に属する者であるか、祭司の系統であるかを尋ねました。今、私たちは御言葉により、神を礼拝する民、祭司の系統に属する者であることが明確にされています。喜びと感謝をもってその務めを果たし、その恵みを証しすることが出来ますように。 アーメン