「こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、70年の年月が満ちた。」 歴代誌下36章21節


 ヨシヤの死後、ヨアハズ(1節以下)、ヨヤキム(5節以下)、ヨヤキン(9節以下)、ゼデキヤ(11節以下)と、次々に王がたてられますが、彼らは主の目に悪とされることを行い(5,9,12節)、ついにユダ王国は滅びます(16節以下)。ヨアハズの評価が記されていませんが、列王記下23章32節には、「彼は先祖たちが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」と語られています。

 ヨヤキンが王となったのは8歳の時で(9節)、自ら望んで悪を行ったのかどうかよく分かりませんが、父親がしているようにして、悪を行ったとすれば、父がどのような姿をその子に見せるのかということが、とても大切な問題であることが分かります。それが国を治める王であるならば、なおさらです。

 神は最後の最後までイスラエルを憐れみ、繰り返し御使いを送られました(15節)。そうして悔い改めの機会をお与えになったのですが、彼らは神の御使いを嘲笑し、預言者を愚弄したのです(16節)。

 そこで、カルデア人が攻め込み、多くの者を剣で殺しました(17節)。神殿の祭具や宝物がすべて奪われ(18節)、神殿は火で焼かれ、エルサレムの城壁は崩されました(19節)。剣を免れた者は、捕囚としてバビロンに引いて行かれました(20節)。これで、400年に及んだダビデ王朝に幕が下ろされたのです。

 冒頭の言葉(21節)で、「主がエレミヤの口を通して告げられた言葉」というのは、「お前たちがわたしの言葉に聞き従わなかったので、見よ、わたしはわたしの僕バビロンの王ネブカドレツァルに命じて、北の諸民族を動員させ、彼らにこの地とその住民、および周囲の民を襲わせ、ことごとく滅ぼし尽くさせる、と主は言われる」(エレミヤ書25章8,9節)という預言でしょう。

 この預言が実現して、「この地は全く廃墟となり、人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王に七十年の間仕える」(同11節)ということになったのです。エレミヤが出したイエローカード(警告)を無視したため、ピッチ(約束の地)を退場(捕囚)させられたのです。

 また、「この地はついに安息を取り戻した」と記されているのは、ダビデ以降、イスラエルの王と民が主に背き続けた結果、地は汚され続け、呪われ続けていたということです。そして、イスラエル王国が滅亡し,ダビデ王朝が倒された結果、地を汚す者、地に呪いをもたらす者がいなくなったので、約束の地は安息を取り戻したと言われているのです。

 「70年の年月が満ちた」というのは、「70」が完全数の7と10を掛け合わせた象徴的な数字で、完全な安息、完全な更新を意味しているということが出来ます。即ち、神がその地に完全な安息を与え、そしてそこに新しい国を築かれるということです。

 実際には、エルサレムの都が陥落し、民が捕囚となったのがBC587年頃、そして、ペルシャのキュロス王による解放がBC538年頃ですから、捕囚期間は50年というのが正確なところです。これはちょうどヨベルの年にあたります(レビ記25章8節以下参照)。

 レビ記の規定によれば、同胞から買い取った土地や奴隷は、50年たてばもとの持ち主に返さなければなりませんでした(同13節以下)。神に背いて地を汚し、バビロンの奴隷とされたイスラエルの民でしたが、彼らは、ヨベルの年に神の憐れみによって、再び約束の地に帰還することを許されたわけです。

 そして、そのことも、予め預言者エレミヤの口を通して主が告げておられたことでした(22節、エレミヤ書29章10節以下)。「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」と言われますが(箴言19章21節)、主が告げておられたとおりにイスラエルが滅び、そして主が告げられていたとおりに国を建て直すことになりました。それは、まず神の神殿を築くことです。

 私たちは、心に主を住まわせている神の宮です(第一コリント書3章16,17節、6章19,20節。主によって心に真の安息を頂き、祈りを捧げましょう。


 主よ、私たちと常に共におられ、希望と平安をお与え下さる主に、心から賛美と感謝の祈りをささげます。全世界に主の安息が与えられますように。 アーメン