「しかし、ヨシヤは引き返さず、攻撃のために変装して、神の口から出たネコの言葉を聞かなかった。そして彼はメギド平野の戦いに臨んだ。」 歴代誌下35章22節


 ヨシヤ王がエルサレムで過越祭を祝い、律法の定めに従って(レビ記23章5節、申命記16章1節以下)、第一の月の14日に過越のいけにえを屠ります(1節)。ヨシヤは祭司、レビ人を励まし、神殿の奉仕を行わせます(2節以下)。そして、ヨシヤが羊、小羊、子山羊を3万匹、牛を三千頭提供したほか(7節)、政府高官や祭司、レビの指導者たちも、それぞれ多数のいけにえを提供しました(8,9節)。

 準備が整っていけにえが屠られ、律法に従って献げ物が主にささげられ、他の聖なるものは鎌や平鍋で煮られてすべての民に配られました(10節以下、13節)。そうして、イスラエルの民は過越祭を祝い、続く七日間、除酵祭を祝いました(17節)。歴代誌の記者は、ヨシヤが祝ったような過越祭を行った者は、イスラエルの歴代の王の中一人もいなかったと評しています(18節)。

 そして、「この過越祭はヨシヤ王の治世第18年に祝われた」と注記しています(19節)。治世第18年は、神殿の修理中に主の律法の書を見つけたという年です(34章8,14節以下)。ヨシヤは主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されている契約の言葉を実行することを誓っていましたので(同31節)、早速その誓いを、過越祭の実施において守ったかたちです。

 ただ、1月14日に行われる過越祭と、律法の書発見、どちらが先だったのか、はっきりしません。もしかすると、過越祭の方が早かったのかも知れません。であれば、神の救いの御業を喜び祝う信仰が主を喜ばせ、それで律法の書を見つけさせて下さったということになります。

 過越祭は、出エジプトにおける神の救いの御業を記念するものですが、ヨシヤがそれを心を込めて祝ったのは、律法の規定によるということだけでなく、今も神の救いの御業を味わうことが出来ると信じているからでしょう。捕囚後に著わされた歴代誌が、ヒゼキヤやヨシヤによる過越祭を記しているのも(30章、35章)、バビロンからの解放を第二の出エジプトの出来事と考えていることを示しています。

 そのように熱心に、徹底的に主に従う道を歩んで右にも左にもそれることがなかったヨシヤですが(34章33節)、その治世31年目に思いがけないことが起こりました。エジプト軍がイスラエルを通過しようとしたときのことです。

 当時、北イスラエルを滅ぼしたアッシリア帝国の力が弱り、ヨシヤは、ほぼソロモン時代の国土を回復することが出来ました。さらに、新興のバビロニアがアッシリアに迫り、ユーフラテス川上流のカルケミシュまで追い詰めていました。エジプト軍は、アッシリアを救援するためにカルケミシュに急行しようとしていたのです(20節)。

 ヨシヤはそれを迎え撃とうと出て行きました。北イスラエルを滅ぼした憎きアッシリアをエジプトが救援することは許し難いという思いだったのではないでしょうか。あるいは、アッシリアの国力が弱って国土を回復出来たことがヨシヤの自信となり、あるいは過信となっていたのかも知れません。

 エジプトの王ネコは、「今日攻めて来たのはあなたに対してではなく、わたしが敵とする家に対してである。神はわたしに急ぐようにと命じられた。わたしと共にいる神に逆らわずにいなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる」と言いました(21節)。

 しかし、主の律法の書が見つかったときに主の御旨を求めて預言者に尋ねたヨシヤですが、このときネコを通して語られる神の御言葉には耳を傾けることが出来なくなっていました(22節)。そして、告げられたとおり、ヨシヤは滅びを刈り取ってしまったのです(23,24節)。

 「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」と、主は言われます(黙示録2章10節)。ヨシヤの生前の善行が神に忘れられることはありませんが、しかし、授けられる命の冠に傷をつけたのではないでしょうか。

 絶えず神の前に謙り、主を求めて御言葉に従う者としていただきましょう。


 主よ、私たちもヨシヤの高慢の罪と無縁ではありません。常に主を畏れ、謙って主の御言葉に耳を傾けることが出来ますように。いつも主を喜び、絶えず主に祈り、どんなことも主に感謝する信仰に歩ませて下さい。 アーメン