「あなたはこの所とその住民についての主の言葉を聞いて心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。」 歴代誌下34章27節


 マナセに代わって王となったアモンは、父と同じように主の目に悪とされることを行って罪悪を積み重ね、なんと、家臣たちの謀反によって殺害されてしまいました。そこでユダの民は、謀反を起こした者たちを討ち、アモンの子ヨシヤを王とします(33章21節以下)。

 ヨシヤは王となったとき、8歳であったとされます(1節)。父アモンは22歳で王となり、即位2年で暗殺されたので、ヨシヤがすぐに王位に就いたとすると、彼は父アモンの16歳の時の子ということになります。ただ、民がクーデター政権を倒し、ヨシヤを王として即位させるには、ある程度の時間が必要で、あるいはそれに数年を要したかも知れません。そうすると、ヨシヤが生まれたときのアモンの年齢はもう少し進んでいることになります。

 そして、8歳の王子に国が治められるはずもありません。ヨシヤが自ら、「父祖ダビデの神を求めることを始め」た治世第8年(3節)までは、祭司ヒルキヤや書記官シャファン、あるいはまたクーデター政権を倒すのに力あった者たちが、幼いヨシヤを補佐していたのでしょう。そして、その指導が実を結び、ヨシヤは自分で主を求める者となりました。

 治世第12年、20歳になったヨシヤは、国内の異教の偶像をすべて取り除き、ユダのみならずイスラエルの各地方まで、国中を清め始めます(3節以下)。6年後の第18年には、エルサレムと神殿を清め、祖父マナセ、父アモンの時代に荒らされた神殿を修理し始めたということですから(8節以下)、偶像を取り除き、異教礼拝を排除するのに6年を要したわけです。それだけ、国中に偶像礼拝がはびこっていたことになります。

 神殿修復のため、寄せられた献金を取り出していたとき、祭司ヒルキヤがモーセによる主の律法の書を見つけました(14節)。それは、申命記の巻物だろうと考えられています。見つけたと言われるのですから、契約の箱の傍らに置かれているはずの律法の書を紛失していたということになります(申命記31章26節)。

 見つけられた律法の書は、すぐにヨシヤのもとにもたらされ(16節)、王の前で読み上げられました(19節)。律法の言葉を聞いたヨシヤは、衣を裂いて悔い改めの姿勢を表します(19節)。この様子を見ると、律法の書の朗読を初めて聞いているようですから、王の手もとにあるはずの律法の書の写しも(申命記17章18,19節参照)、いつしか失われていたようです。あるいは、主に背を向けた王によって、廃棄されたのかも知れません。

 ヨシヤはさらに、主の御旨を求めて女預言者フルダのもとに祭司らを遣わします(21,22節)。フルダは当時有名な主の預言者だったと思われます。後に神殿城壁の南の門がフルダの名前で呼ばれていることからも、その事実を確認することが出来るでしょう。

 フルダは、主の律法の書に記された災いと呪いがユダとその住民に臨むと明言しましたが(24,25節)、主の御旨を求めて謙っているヨシヤは、その災いを見ることはないと語っています(28節)。主の律法の書が見つかったことで、神の裁きが明示される結果となりましたが、ヨシヤはそれを悔い改めの時となし、神はその祈りを聞かれたのです。つまり、神は、ヨシヤを悔い改めに導くために律法の書を見つけさせたのではないでしょうか。

 であれば、ヨシヤ一人が謙って主を求めても、主の御心を変えて災いが降るのを中止させることは出来ない相談だったわけです。けれども、ヨシヤに次ぐ王たちが皆、ヨシヤと同じように心から主を求め、律法の言葉に従って歩もうとすれば、彼らも、その災いを見ることはないとされたでしょう。

 そうすれば、結果的に主が災いを下すのを思い返されることになったでしょう。神はイスラエルを滅ぼしたかったのではありません。民が悔い改めの実を結ぶのを待っておられるのです。悔い改めとは、正しく主の方に向き直ること、その御顔を拝し、主の御言葉に耳を傾けることです。

 私たちも、日毎聖書を開き、祈る恵みに導かれています。すべてを主に委ね、御言葉に聴き従いましょう。

 主よ、あなたのなさることは最善です。主に信頼し、御言葉に従って歩みます。弱い私たちを助け、道を踏み外すことのないように、誘惑に遭わせず、悪しき者からお救い下さい。主の守りと導きが常に豊かにありますように。 アーメン