「『敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる』。民はユダの王ヒゼキヤの言葉に力づけられた。」 歴代誌下32章8節


 ヒゼキヤが神を求めて始めたすべての事業を成し遂げたとき(31章21節)、アッシリアの王センナケリブがユダに攻め上って来ました(1節)。歴代誌には記述がありませんが、アッシリアは既に北イスラエルを攻め滅ぼしており(列王記下17章参照)、圧倒的な軍事力を背景としてユダの町々を攻め落とし、エルサレムに迫って来ます。

 父アハズの代に、アラム・北イスラエル連合軍の攻撃を受けた際、アッシリアの王ティグラトピレセルに貢ぎして救援を求めて以来、主従の関係が生まれていましたが(同16章5節以下)、ヒゼキヤは、アッシリアの王の代替わりを契機に、服従することをやめたのです(同18章7節)。

 センナケリブは使者を遣わし(9節)、「ヒゼキヤに欺かれ、そそのかされてはならない。彼を信じてはならない。どの民、どの国のどの神も、わたしの手から、またわたしの先祖の手からその民を救うことができなかった。お前たちの神も,このわたしの手からお前たちを救い出すことはできない」と言わせました(10節以下、15節)。あからさまな挑発、主なる神への挑戦です。

 しかし、ユダの人々はこれに何ら答えません(列王下18章36節参照)。答えることが出来ないほど怯え、震え上がっていたという観測もあるかも知れませんが、ヒゼキヤによって主なる神を信じる信仰を生活に根付かせるようにされていたので(6~8節、31章20,21節)、神を嘲るセンナケリブの言葉に動揺することがなかったのだと思います。

 ヒゼキヤは、「強く雄々しくあれ、恐れてはならない、おじけてはならない」と言いました(7節)。その根拠は、「我々と共においでになる方は、敵と共にいる者より力強い」ことであり(7節)、そして、冒頭の言葉(8節)にあるとおり、「敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦って下さる」ということです。

 5節に、「意欲的に」と訳されているのは、「強くあれ」(ハーザク)と同じ言葉の再帰動詞(直訳すると「自分自身を強くする」)です。そもそも、ヒゼキヤという名前も同じ言葉で、「主は強めたもう」という意味です。主に信頼して強くされたヒゼキヤが、主に信頼して強くあれと民に命じていたわけです。

 センナケリブは、イスラエルの神に対してアッシリアの神の名で戦っているというのではなく、自分の手、自分たちの力で行って来たと繰り返し語っていました(13節以下)。それに対するヒゼキヤは、自分の手、自分たちの力で立ち向かうのではなく、主なる神に祈り、天に助けを求めて叫ぶのです(20節)。

 このとき、預言者であるアモツの子イザヤも、ヒゼキヤ王と共に祈っているようです。それはしかし、列王下19章、イザヤ書37章によれば、ヒゼキヤから祈りの要請を受けて、イザヤが神の託宣を求めたということでしょう。

 神はこの祈りに答え、御使いを遣わし、アッシリア軍を全滅させられました(21節)。完全に面目を失ってしまったセンナケリブは、傷心の内に帰国しました。そして、神殿に来たところを、王子たちの謀反で殺されてしまいます(21節)。

 神に頼らずに、自分の手、自分たちの力を過信していたセンナケリブが思い上がって、「お前たちの神は、わたしの手からその民を救うことができるというのか」と語っていましたが(14節)、その彼が神殿で殺されるというのは、なんという皮肉なことでしょうか。

 神殿に詣でたのは、心の傷を癒し、再び立ち上がり、イスラエルに報復する力を神に求めようとしていたのでしょうけれども、彼が嘲ったイスラエルの神は、イスラエルをアッシリアの手から救いましたが、イスラエルの神を嘲ったセンナケリブは、自分の拝む神の助けを得られず、その上、自分の子らに殺されてしまったのです。

 「我々と共においでになる方は、敵と共にいる者より力強い。・・我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる」(7,8節)と語ったヒゼキヤの言葉を、日々、心に響かせて歩みたいと思います。

 主よ、憲法改正論議に加え、慰安婦問題に関する政治家の発言、尖閣諸島を巡る日中のせめぎ合い、北朝鮮の核ミサイル問題などで国内外が揺れています。国の主権を保ちつつ、関係諸国との信頼関係を確固たるものとしていくことが出来ますように。国際的な問題を武力で解決するのではなく、平和に話し合いが出来ますように。共にキリストの十字架を仰がせて下さい。御旨が行われますように。 アーメン