「彼は神殿における奉仕について、また律法と戒めについて、神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げた。」 歴代誌下31章21節

 ヒゼキヤは、祭司とレビ人の組分けを行い、組ごとにその任務に従って献げ物をささげ、感謝し、賛美しながら奉仕するように定めました(2節)。ヒゼキヤの身の上にこれまで何があり、どのような神の恵みを味わってきたのか、詳しいことはよく分かりません。

 父アハズは、「父祖ダビデと異なり、主の目にかなう正しいことを行わなかった」(28章1節)と評される人物であり、それゆえでしょうが、アハズが召されて葬られるとき、「その遺体はイスラエルの王の墓には入れられなかった」と言われます(28章27節)。

 アハズの王位は16年で(同1節)、ヒゼキヤは25歳で王となりましたから(29章1節)、9歳から即位するまでの間、徹底して主なる神に背く父のもとで、ユダの王として働く父アハズの様子を見ていたわけです。ヒゼキヤが、父祖ダビデのように正しいことをことごとく行ったということは、父親を反面教師として育ったということになります。

 そして、そのように歩む中で神の恵みを味わったからこそ、喜んで主に従っているのでしょう。そして、主を求め、主に従う喜び、さらなる恵みを味わっているのでしょう。だからこそ、神殿では、感謝し、賛美しながら奉仕するように定めたのです。

 ネヘミヤが、「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と言っています(ネヘミヤ記8章10節)。感謝しながら力を得て奉仕し、それによってさらなる恵みを得て喜ぶのです。

 20節にも、「ヒゼキヤは自分の神、主の御前に良い事、正しい事、真実な事を行った」と記されていますが、主の御前に良い事、ただしい事、真実な事として、彼は何をしたのでしょうか。それはまず、祭司とレビ人を聖別して神殿を清めること(29章)、次いで、全国規模の過越祭を行うこと(30章)、それから、偶像を徹底的に取り除いたということです(1節)。

 更に、ヒゼキヤは自分の財産から主への献げ物をささげ(3節)、エルサレムに住む民には、祭司、レビ人の受けるべき分として、産物の十分の一を献げさせました(4節以下)。それは祭司、レビ人が主の律法のことに専念するためです。

 すると、イスラエルの民は、穀物、ぶどう酒、油、蜜など、畑のあらゆる産物の初物、あらゆる物の十分の一(5節)、また牛と羊の十分の一、主のために聖別された物の十分の一を運んで来ました(6節)。

 そうしてヒゼキヤは、冒頭の言葉(21節)の通り、「神殿における奉仕について、また律法と戒めについて、神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げ」ました(21節)。これは、そういうことを行ったことがあるという程度ではなく、主なる神を信じてその教え、戒めに従うことが人々の生活に根付くように、繰り返し、徹底して行わせたという意味ではないでしょうか。

 ヘブライ語の「成し遂げた」(ツァーラー)という言葉には、「成功する、繁栄する」という意味がありますから、このようなヒゼキヤの働きが豊かに実を結び、人々の生活が祝福を受けたということが出来るでしょう。

 私たちも主の恵みに豊かに与るため、信仰を生活の中にしっかりと根付かせましょう。神の御言葉に従い得ない不信仰、不従順で頑なな心、恵みを奪おうとする一切の悪しきものを除き去りましょう。私たちのために最善をなし、一切の必要を豊かに満たして下さる主に、感謝と喜びをもって10分の一と感謝の献げ物をささげましょう(マラキ3章8,10節参照)。神を求めて始めたすべてのことを、心を尽くして進めましょう。

 主が成し遂げさせて下さいます。成功させて下さいます。繁栄させて下さいます。パウロが、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げて下さると、わたしは確信しています」と記しているとおりです(フィリピ1章6節)。

 主よ、私たちが知る力と見抜く力を身に着けて、私たちの愛が益々豊かになり、本当に重要な事を見分けられますように。そしてキリストの日に備えて、清い者、咎められることのない者となり、主イエスによって与えられる義の実を溢れるほどに受けて、神の栄光と誉れを讃えることが出来ますように。 アーメン