「ヨヤダは、自分とすべての民と王との間に、主の民となる契約を結んだ。」 歴代誌下23章16節

 
 アハブの娘で、ヨシャファトの子ヨラムの妻(21章6節、22章2節)、アハズヤの皇太后アタルヤがユダを支配して7年目、ついに祭司ヨヤダは意を決し、アハズヤの子ヨアシュを王として擁立するために動きます(1節、22章10節以下)。

 まず、百人隊長らと契約を結び、ユダのすべての町から、レビ人とイスラエルの氏族の長を召集します(2節)。そして、神殿の中でヨアシュと契約を結ばせます。それは、ヨアシュを王とする契約でした(3節)。次いで、祭司、レビ人らを組み分けして、三分の一を門衛、三分の一を王宮、三分の一を礎の門に配置し、民は皆、神殿の庭に留まらせます(4,5節)。神殿には入れるのは祭司とレビ人だけにして、ヨアシュ王を守るのです。

 それから、兵士や民に武装させてヨアシュの周囲を固め(9,10節)、そこに登場して来たヨアシュに冠をかぶらせ、掟の書を渡して彼を王とし、ヨヤダとその子らは彼に油を注いで、「王万歳」と叫びました(11節)。

 走りながら王を讃える民の声を聞いて神殿に行ったアタルヤは(12節)、柱の傍らに立つ王と、その側に将軍や吹奏隊が並び、民が喜び祝ってラッパを吹き鳴らし、詠唱者が楽器を奏で、賛美の先導を行っているのを見て、「謀反、謀反」と叫んで祝いをやめさせようとしますが(13節)、かえって百人隊長に捕らえられ、王宮の馬の門の側まで連れて行かれて、そこで殺されました(14,15節)。

 「彼女について行こうとする者は剣にかけて殺せ」という指示も出されていますが(14節)、そのような者がいたようには記されていません。もしいたとしても、ごくごく少数だったのではないでしょうか。

 彼女の6年間の支配がよいものであれば、そうはならなかったのかも知れませんが、主の目に悪とされることを夫ヨラムや息子アハズヤに行わせ、アハズヤが死ぬと、自ら権力の座につくために手段を選ばず、孫たちを初め王族をすべて滅ぼそうとしたやり方を、当然のことながらユダの民が喜んでいなかったことが知られます。そしてそれは何より、神に喜ばれないことでした。

 冒頭の言葉(16節)のとおり、ヨヤダは、自分とすべての民と王との間に、主の民となる契約を結ばせました。ヨアシュが王となったのは、7歳の時です(24章1節)。幼い王のために祭司ヨヤダが摂政となり、すべての民と王の間に立って、主の民となる契約を結ばせたのです。

 まさしくここに、ユダの国は誰のものでもなく、主なる神を真の王とする神の国であり、その民は神の民であることを宣言しているのです。そして、真の王なる主のもとで、ダビデの血筋に連なるヨアシュが王として立てられていきます。

 すべての民はバアル神殿に行き、それを祭壇と共に破壊し、像を打ち砕き、バアルの祭司を殺しました(17節)。ヨヤダは主の神殿を祭司、レビ人に委ね、賛美をもって主に焼き尽くす献げ物をささげ(18節)、また神殿に汚れを持ち込ませないようにしました(19節)。そして、神殿から王を連れ出して王宮に入り、王座に着けました(20節)。

 ヨアシュの父アハズヤも、その父ヨラムも、主の道に歩まず、主の目に悪とされることを行った王たちでしたが、ヨアシュはヨヤダの指導の下で、よい政治を行うことが出来たのです。国の民は皆喜び祝い、町は平穏でした(21節)。

 ところが、これで南ユダは安泰ということにはなりません。ヨヤダの死後、ヨアシュは道を変えてしまいます(24章17節以下)。そうして、最後はバビロン捕囚という滅びを刈り取ることになります(36章11節以下)。

 けれども、すべて無駄ということではありません。ヨヤダが立てられ、ヨアシュを、そしてユダの国を、正しい道に導いたのは、神の憐れみです。神は繰り返しその豊かな憐れみをもって、イスラエルを義の道に導こうとされるのです。そうして、世の罪を取り除く神の小羊・主イエスの登場に向けて、主の御旨のみが実現していくのです。ハレルヤ!


 主の御名はほむべきかな。その慈しみはとこしえに。主よ、あなたの深い愛と憐れみを感謝します。そのゆえに、私たちも恵みに与ることが出来ました。いつも私たちをあなたの慈しみの御手の下に置いて下さい。すべての悪から、あらゆる汚れから、救い清めて下さい。御心がこの地になりますように。 アーメン!