「しかし主は、ダビデと結んだ契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼそうとはされなかった。主は、ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたからである。」 歴代誌下21章7節


 ヨシャファトに代わって、その子ヨラムが王位に就きました(1節)。ヨラムには6人の弟がおりましたが、王位について勢力を増すと、ヨラムは兄弟たちと高官数人を剣にかけて殺し(4節)、権力権勢をほしいままにしようとしました。

 ヨシャファトは、6人の弟に砦の町を与え、財宝をも豊富に分け与えていました(3節)。それは、兄弟で力を合わせてユダの国を守っていくことを願っていたものと思われます。あるいはヨシャファトが、ヨラムの所有欲、自己顕示欲の強さを見て、予め分け与えておくことにしたのかも知れませんが、それが裏目に出て最悪の結果となってしまいました。

 ヨラムの妻は、イスラエルの王アハブの娘アタルヤで(列王記下8章26,27節)、彼女に唆されてというのが正しい表現であるのかどうか分かりませんが、彼女のために、アハブが行ったように、イスラエルの王たちの道を歩み、主の目に悪とされることを行ったと、歴代誌の記者は述べています(6節)。

 ヨラムは、その行状といい、主に背く偶像礼拝の罪といい、父ヨシャファトとは全く違う道を進みました。その結果、神の恵みの道から外れ、先ず、エドムが反旗を翻し(8節以下)、またリブナが反旗を翻しました(10節)。それでも、悔い改めて主に立ち帰るどころか、ヨラムは主を捨ててユダの山々に聖なる高台を築き、バアルに依り頼みます(11節)。

 そのとき、ヨラムに宛てて預言者エリヤから一通の手紙が届きました(12節以下)。列王記下3章によれば、ヨシャファトの治世18年に、既にエリヤは亡くなり、後継者のエリシャが活動を始めているので、ヨラムにエリヤから手紙が届いたというのは、天からの手紙ということでしょう。

 また、北イスラエルの預言者エリヤがユダの王に手紙を書くというのは、異例中の異例というところですが、エリヤはアハブの預言者たちと戦った人物ですから(列王記上18章16節以下)、アハブの道を歩むヨラムに対して警告を与えるのに相応しい役どころというのでしょうか。

 そして、エリヤの言葉が現実のものとなります。ペリシテ人とアラブ人がユダに攻めて来て、王宮の財宝や王子、王妃たちを奪い去りました(17節)。兄弟たちにしたことが、自分の家にも降りかかってきたのです。また、ヨラム自身も重い病に冒され、ひどい苦しみにあえぎながらその生涯を閉じました(18,19節)。王として葬られることもありませんでした(19,20節)。それが、ヨラムの罪の結果であると、歴代誌の記者は教えているのです。

 しかし、冒頭の言葉(7節)の通り、神はヨラムのすべてのものを奪い去りはしませんでした。彼の最年少の息子ヨアハズが残されたのです。それは、神がダビデと結んだ契約のゆえだというのです。

 その契約とは、「主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国を揺るぎないものとする」というものです(サムエル下7章11~13節)。

 そして、ヨラムの重罪にも拘わらず、このダビデとの契約が破棄されることなく、有効に機能しているというわけです。神がこの契約を維持しておられるのは、ユダの王の忠実さ、民の従順さのゆえではないとすれば、なんのためでしょうか。それこそ、神の憐れみのゆえ、イスラエルの民に対する愛のゆえです。

 神は、繰り返し神の御言葉に反逆し、罪を犯すダビデの子らのために、その子孫として主イエスをこの世にお与えになり、十字架につけて罪を滅ぼされました。主イエスを受け入れた者、その名を信じた者に、神の子となる資格をお与えになりました。こうして、主イエスにより、「ダビデの家を堅くたて、その王国を揺るぎないものとする」という契約は、確かなものとなったのです。

 愛と赦しの福音に活かされた者として、その恵みに答えて今日も歩ませていただきましょう。


 主よ、あなたは独り子をお与えになったほどにこの世を愛されました。あなたの愛と憐れみは測り知れません。そのような深く広い愛がなければ、私は救われませんでした。罪を赦し、神の子として生きる救いの道を開いて下さり、感謝です。福音にふさわしい歩みをなす者となれますように。主の恵みが豊かにありますように。 アーメン!