「ヨシャファトはエルサレムに住んでいたが、再び出かけて民の中をベエル・シェバからエフライムの山地まで巡り、彼らを先祖の神、主に立ち帰らせた。」 歴代誌下19章4節


 ラモト・ギレアドから無事帰還を果たすことが出来たヨシャファト(1節)のもとに、先見者ハナニの子イエフがやって来て、「悪人を助け、主を憎む者の友となるとは何事ですか。そのために主の怒りが下ります」と告げます(2節)。アハブと姻戚関係を結び(18章1節)、一緒にラモト・ギレアドに攻め上ったこと(同3,28節以下)が咎められているのです。

 確かに、アハブとの姻戚関係は、あとに禍根を残す結果となります。姻戚関係とは、ヨシャファトがその子ヨラムのためにアハブの娘アタルヤを嫁に迎えたということですが、その結果、ヨラムは父ヨシャファトの道に歩まず、アハブの家が行ったように主の目に悪とされることを行い、さらにその子アハズヤも、アハブの家の道を歩んだのです(21章6節、22章2,3節参照)。

 かつて、イエフの父ハナニがヨシャファトの父アサに対して、「あなたはアラムの王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった」と責めたとき(16章7節)、アサは怒ってハナニを投獄してしまいました(同10節)。しかし、ヨシャファトは父アサとは違い、イエフの言葉を聞いたとき、さらに謙り、徹底して神の御言葉に従う決心をしました。

 以前、ユダの町々に高官、レビ人、祭司たちを遣わして主の律法を教え、民の教化にあたらせたことがあります(17章7節以下)。今回は、それを徹底するために王自ら出かけて、民を導きました(4節)。そして、町の裁判官を任命します(5節)。

 この「裁判官」は、「士師」と同じ言葉です。ですから、裁判だけでなく行政指導も行い、さらに砦の町の指導者として、軍事的な責任も担っていたものと思われます。任命した裁判官たちには、「人のためでなく、主のために裁くのだから、自分が何をすべきか、よく考えなさい。裁きを下すとき、主があなたたちと共にいてくださるように」と告げました(6節)。

 エルサレムでも同様に、裁きと紛争解決のためにレビ人や祭司、氏族の長を任命し、「主を畏れ敬い、忠実に、全き心をもって務めを果たせ。・・・彼らが主に罪を犯して、怒りがあなたたちと兄弟たちの上に降りかかることのないように、彼らを戒めなさい。・・・勇気をもって行え。主が善を行う者と共にいてくださるように」と命じます(9節以下)。

 上に立つ者が心を定めて行えば、国は堅く立てられます。王が主を畏れ、主を畏れ敬うことを指導者たちに命じるのは、国全体が主を畏れること、主に従うことを徹底して、その祝福に与るためなのです。

 国内ではこのように徹底的に主を求め、主に従うことを率先して行っているヨシャファト王が、対北イスラエル政策については、なんのためらいもないかのごとく姻戚関係を結び(18章1節)、それを今回、先見者イエフから咎められたのに、後に、イスラエルの王アハズヤとも協定を結び(20章35節)、それを預言者エリエゼルに断罪されています(同37節)。同じ過ちを繰り返すのは、およそ賢いとは言えません。

 同じ民族が二つに分かれて争っていては、国は立ち行かないから、互いに協力し合うべきであるというのは、正しい認識だと思います。しかし、どの点で、どのように協力し合うのかということは、どうでもよいことではありません。ヨシャファトは、自分の決断が何をもたらすのかということについて、認識が十分ではないようです。

 そのため、自分が心を込めて取り除いた偶像を(17章6節)、自分の子が嫁を通して国内に持ち込むという、偶像礼拝の道を、自らその子らのために開く結果になったのです。ラモト・ギレアドに攻め上るべきか、主の御言葉を求めたように、アハブ、アハズヤとの関係を姻戚結ぶときに、主の御心を尋ねるべきだったわけです。

 絶えず御言葉に耳を傾け、主の御心を尋ね求めましょう。常に主の前に謙り、御霊の導きに従いましょう。


 主よ、わが愛する祖国日本が、主を畏れ敬い、忠実に全き心で主に委ねられた務めを果たす国になりますように。国の指導者に創造主を畏れ敬う心を与え、また、主を畏れる者たちが指導者の周囲にいて、悪しきものの攻撃から守られますように。自分の思いよりも主の御心を優先する国、まず主に祈り、御言葉に忠実に従って歩む国、自分のように隣人を愛する国となりますように。 アーメン