「神の箱が安置されたとき以来、ダビデによって主の神殿で詠唱の任務につけられた者は次のとおりである。」 歴代誌上6章16節


 5章27節以下に、レビの子孫のうち、ケハト族はアムラムの子アロンの家に属する大祭司の系譜が記されていました。6章1節以下には、レビ一族の残りの氏族の系図が記されています。冒頭の言葉(16節)のとおり、ダビデによって、神殿の詠唱者とされた人々がいます。そのときにはまだ神殿はなく、臨在の幕屋の前でその任務に就きました(17節)。

 詩編22編4節に、「だがあなたは、聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方」とあります。「聖所にいまし、賛美を受ける方」は、原文を直訳すると、「賛美の上に座るあなたは聖なる方」です。賛美するイスラエルの上に聖なる主が臨まれるということでしょう。ソロモンが神殿を奉献し、主を賛美したとき、主の栄光が神殿に満ちたのも(歴代誌下5章13,14節)、主が賛美をお受け下さる方であることを示しています。

 彼らの歌声は主への賛美として、幕屋に臨在しておられる神の前に響き、また、神の幕屋の周りにいるイスラエルの民の耳にも届きます。賛美されるべき神と賛美すべき神の民イスラエルの人々が、詠唱者の賛美によって結ばれるのです。神の祝福を受けた者は神を賛美します。恵みを味わっている者は神に感謝します。

 主イエスは、十字架で死なれた後(ルカ23章44節以下)、三日目に甦り(24章1節以下)、その後40日にわたってたびたびお姿を弟子たちに顕わされ(使徒言行録1章3節)、それから、天に昇られました(ルカ24章50節以下、使徒言行録1章9節)。その際、主イエスは弟子たちを祝福しながら、天に昇って行かれたのです(ルカ24章51節)。祝福を受けた弟子たちは、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていました(同53節)。

 ここで、「祝福する」という言葉と「ほめたたえる」という言葉は、原語では同じ言葉(ユーロゲオウ)です。つまり、賛美は神に祝福を返すことであり、賛美を通して主イエスと弟子たちの間で祝福が循環しているわけです。祝福を受けて感謝し、主を賛美する者にさらに主の祝福が加えられます。

 弟子たちは、人間的には敬愛する主イエスを天に送った寂しさや悲しみがあったと思いますが、しかし、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」とあることから、主イエスの祝福が弟子たちの心を満たしていて、その口から主を讃える賛美が溢れ出て、賛美を住まいとされる主が弟子たちに更なる祝福を注がれるのです。

 主イエスが神殿で民衆に教えておられるところへ、姦通の現場で捕らえられた女性が連れられてきたことがあります(ヨハネ8章1節以下)。女性を連れてきた人々は、姦通の罪を犯した者は、石で撃ち殺せという規定があり(同5節、レビ記20章10節)、それを実行すべきかどうかと尋ねます。主イエスが、かわいそうだから赦してやりなさいと言えば、神の律法に背くのかと、主イエスを訴える口実を得ようと考えているのです。

 ところが、主イエスは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われました(ヨハネ8章7節)。民衆は主イエスの言葉に心さされ、誰も石を投げずにその場を立ち去りました(同9節)。誰も、女性に石を投げる資格がなかったということです。

 そして、主イエスもこの女性の罪を赦され、放免されます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい」(同11節)という言葉に、その女性がどのように反応したのか、何も記されていませんが、どんなに感謝したでしょうか。神を賛美したことでしょうね。そこは、神をほめたたえる神殿です。恵みが賛美を生み、賛美が恵みを新しくしたことでしょう。

 バビロン捕囚から帰還した民が都に集まり、祭司エズラに律法の朗読を求めました(ネヘミヤ記8章1節以下)。民は皆、朗読を聞いて泣きました(同9節)。心を強く動かされ、悔い改めの涙を流していたのです。しかし、総督ネヘミヤと祭司エズラは、「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と語ります(同10節)。

 ここに、神殿における礼拝に相応しい態度は、語り聞かせられる御言葉に対して喜びをもって応答することであると教えられます。主の力に与って喜び祝い、喜び祝うことでさらに力が与えられるのです。

 置かれている環境がどのようであっても、神の恵みが与えられていることを知れば、賛美出来ます。私たちに賛美を与えて下さるのは聖霊です(エフェソ5章18節以下)。聖霊に満たされて賛美に導かれ、賛美を通していよいよ深く主に満たしていただきましょう。

 主よ、ダビデがエルサレムに都を定め、神の箱をエルサレムに迎えて以来、詠唱者が主を賛美する務めを担いました。賛美こそ、恵みの主に応えるのに相応しいからです。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する信仰を授けて下さい。イースターの喜びと恵みが、全世界に豊かにありますように。 アーメン!