「ルベンは長男であったが、父の寝床を汚したので、長子の権利を同じイスラエルの子ヨセフの子孫に譲らねばならなかった。」 歴代誌上5章1節


 冒頭の言葉(1節)の通り、父祖イスラエル(=ヤコブ)の長男ルベンは、母ラケルの死後、その悲しみがまだ癒えない時期に、父の側女ビルハと床を共にしました(創世記35章22節)。これは、父の家督の権を強奪する行為であり、家族の崩壊を意味します。

  それは、ダビデを王宮から追い出した息子アブサロムが、アヒトフェルの指導に従って行ったことと同じです(サムエル記下16章21節以下)。このために、ルベンは長子の権利を失うことになりました(創世記49章4節)。

 そこで、代わって長子の権利を得たのがヨセフです。ヨセフは、12人兄弟の11番目ですが、イスラエルの愛した妻ラケルの長男です。イスラエルにとってもラケルにとっても、待望の男児でした。そのためにヨセフを溺愛したので、ヨセフは他の兄弟たちの妬みを買ってしまいます(創世記37章3~4節)。

 ヨセフも、父の依怙贔屓を傘に、自分の見た夢を兄たちに傲慢に語ります(同5節以下)。それで、彼は兄弟たちによってエジプトに奴隷として売られてしまいました(同12節以下)。

 ただ、売られた先のエジプトで、ヨセフは主人ポティファルに気に入られ、その家の管理を任される執事になります(同39章1節以下)。ところが、女主人に性的な誘惑を受けるのです(同7節以下)。それを毅然とはねのけた彼は、l今度は女主人に訴えられ、無実の罪で牢に入れられます。人間万事塞翁が馬とは、このことでしょうか。

 しかし、そこでもヨセフは監守長に目をかけられるようになります。ヨセフは奴隷となり、さらに投獄されるというどん底を経験しましたが、つぶやかず、不満を言わずにその運命に身を委ねています。それは、神が共におられることを知っていたからでしょう。

 女主人に言い寄られたときも、「わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう」と答えています(同9節)。このように、ヨセフは寝床を汚す罪を犯さなかったので、ルベンの長子の権を譲り受けることになったわけです。

 やがて、彼はその牢獄で出会った宮廷の役人の夢を解いたことがきっかけとなり、数年後にファラオが見た夢を見事に解くことが出来たので、獄屋を出ることが出来ただけでなく、引き立てられて、エジプト一国の管理を任される宰相となりました(同41章)。

 エジプトを大飢饉から救ったヨセフは、やがて、自分をエジプトに売った兄弟たちと感動的な和解をします(同45章)。そして、ヨセフはイスラエル一族を、なお飢饉の続くカナンの地からエジプト・ゴシェンの地に呼び寄せます(同46章)。ヨセフの父イスラエルは、ヨセフの子らを特別に祝福し(同48章)、12人の子どもたちに看取られてエジプトで天に召されます(同49章33節)。

 その後、エジプトを出て約束の地カナンに入るイスラエル12部族の中で、レビ族は主を嗣業として、神の幕屋に関わる務めを担うので、土地の分配を受けないことになります(民数記1章47節以下、17章27節以下、18章23,24節)。その代わりにヨセフの子孫が2つ分を受け、マナセ族、エフライム族として、それぞれ嗣業の土地を獲得します(民数記1章10節、ヨシュア記13章29節以下、同16,17章)。

 それは、ヨセフが長子権を有しているからです。長子は、他の兄弟たちの2倍の分け前を与えられることになっていたのです(申命記21章17節、列王記下2章9節も参照)。

 主イエスは、その愛と憐れみのゆえに、本来その資格のない私たちに、ご自分を信じる信仰により、神の子となる特権をお与え下さいました(ヨハネ1章12節)。それは、主イエスと出会って罪赦され、救いの恵みに与らせて頂いたたことであり、さらに、聖霊を受けて力と愛に満たしていただくことです。

 ここに、御子の命と聖霊の力という二つの分が、私たちに与えられているのです。受けている恵みをいたずらにせず、御言葉に聴き従い、神の栄光を拝させていただきましょう。“主に感謝せよ、その憐れみはとわに絶えず。ハレルヤ!”


 主よ、私たちが神の子とされるために、どれほどの愛を賜ったことでしょう。どれだけ感謝しても、しすぎることはありません。私たちを聖霊で満たし、神の愛の証し人、主イエスの恵みの証人として用いて下さい。御心がこの地にもなされますように。そのために用いられる器として下さいますように。 アーメン