「ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。母は、『わたしは苦しんで産んだから』と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。」 歴代誌上4章9節

 
4章には、2章に記されていたものとは別の、もう一つのユダ族の系図が記されています。そして、その系図の中に、ヤベツという人物にまつわる小さな物語が記されています(9,10節)。


 10節の、「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」という祈りは、それを祈ったヤベツの名をとって、「ヤベツの祈り」と言われています。

 12年ほど前、ブルース・ウィルキンソンが、この祈りに関する小さい書籍を出版したところ、全米で短期間に一千万部を売り上げるという反響を生み、日本語でもそれが出版されました。その後、様々な牧師、伝道者が、ある人はメディアを通じて、この祈りについて語り、その影響は今も続いています。

 「ヤベツの祈り」は、ユダの系図の中で紹介されていますが(4章1節以下)、ヤベツの父は誰なのか、また、彼の子どもは誰なのか、記されてはおりません。ある方は、イスラエル人でさえないと結論しています。それが妥当かどうか分かりませんが、創世記のメルキゼデクのように(創世記14章18~20節)、ただ一度突然現れて、忽然と去りました。ともかく、9,10節に僅か数行コメントされただけで、この後は全く登場して来ないのです。

 冒頭の言葉(9節)によれば、ヤベツという名は、母親が「わたしは苦しんで産んだから」といって名付けたそうです。どのような苦しみであるか、定かではありませんが、出産の苦しみは死ぬほどのものだと聞きます。だからといって、それを子どもに思い知らせるかのような名付けを行うだろうか思います。

 確かに神は、出産を苦しみとして人にお与えになりました(創世記3章16節)。けれども、苦しんで産んだ後、その子どもの顔を見ると、苦しみを忘れてしまうとも聞きます。主イエスもそのことを引いて、主イエスの受難、離別の悲しみが喜びに変えられることを説かれました(ヨハネ16章21~22節)。

 ヤコブの愛妻ラケルが二人目の息子を出産するとき、それは大変な難産で、結局ラケルは命を落としてしまいます。ラケルはその子を「ベン・オニ(苦しみの子)」と名付けました。彼女はベツレヘムの傍らに葬られました(創世記35章16節以下)。ベツレヘムはユダ族のダビデの町です。

 そして、父ヤコブから特別に愛されました。ヤコブは彼を「ベニヤミン(幸いの子)」と呼んでいます。「苦しみの子」ではかわいそうだという解釈もありますが、母ラケルの苦しみと死を通して、幸いが与えられた、祝福が生み出されたのだと受け取ることも出来ます。

 ベニヤミンは兄弟でただ一人、イスラエルの地で生まれました。他の兄弟は、ラケルの故郷ハランの地で生まれたのです(創世記29章31節以下)。最初の王がベニヤミンから選ばれたことも(サムエル記上10章20節以下)、12部族の中で特別な地位を占めていることを示します。

 これは、ヤベツが兄弟たちの中で最も尊敬されていたという言葉にも、重なるところではないでしょうか。そして、ヤベツが最も尊敬されていた背後には、「ヤベツの祈り」があるということです。その祈りが聞かれて、ヤベツは祝福を受けたのです。しかし、その祈りはヤベツの祈りというよりも、ヤベツに与えられた祈り、教えられた祈りでしょう。ヤベツに祈りを教えたのは、母親だと思います。

 そうしたことを考え合わせると、ヤベツの出産のときに、たとえば夫と死別するといった苦しみ、深い痛みを味わい、失意のどん底にいたけれども、そこで主に祈りを捧げて、神の助けに与り、無事に出産を終えることが出来たので、その恵み、主の計らいを忘れないために、あえて苦しみを意味する「ヤベツ」という名をつけたのかも知れません。

 そのとき、ヤベツの母を祈りに導いたのは、聖霊なる神でしょう。そして、聖霊がヤベツを、そして私たちをも祈りに導かれるのです。聖霊ご自身が、産みの苦しみを味わっている私たちのために言葉に表せない呻きをもって執り成して下さいます(ローマ8章22~23,26節)。そして神はこの祈りに応え、万事が益となるように、マイナスもプラスにして下さるのです(同8章28節)。

 これからも、ヤベツの祈りの心をもって進んで参りましょう。そして主の祝福に与りましょう。

 主よ、苦しみの中で生まれたヤベツは、祈りに導かれて、豊かな祝福に与りました。どんなときにも感謝をもって祈り、インマヌエルの主の恵みと平安に与らせて下さいますように。そして、御名を崇めさせたまえ。 アーメン!