「主はついにその僕であるすべての預言者を通してお告げになっていたとおり、イスラエルを御前から退けられた。イスラエルはその土地からアッシリアに移され、今日に至っている。」 列王記下17章23節


 イスラエルが南と北に別れてから、19代目の王ホシェアの時代に、ついに北イスラエル王国は姿を消すことになりました(1節以下)。それは、北イスラエル初代の王ヤロブアムが犯した偶像礼拝の罪を離れなかったからです(7節以下、21,22節)。

 ヤロブアムが偶像礼拝に走ったのは、民の心が自分から離れてしまうかも知れないという、不安と恐れからでした(列王記上12章26~27節)。そして、代々の王が、ヤロブアムを見本として、その道を歩み続けました。

 最も神から遠ざかったのは、7代目の王アハブの時代でした(列王記上16章30節)。彼は、隣国シドンの王エトバアルの娘イゼベルを后に迎え(同31節)、サマリヤにバアルの神殿を建てました(同32節)。弱小国が南北の列強と渡り合っていくためになされた、政略結婚だったと思われます。

 けれども、それが神を喜ばせるはずがありません。神は預言者エリヤを遣わして、アハブに警告します(同17章1節)。エリヤの指導のもと、民は「主こそ神です」と信仰を言い表し、バアルの預言者を殺しました(同18章39,40節)。

 アハブはエリヤの裁きの預言を受けたとき(同21章17節以下)、衣を裂き、粗布をまとって断食して、神の前に謙りました。そこで主は、災いをくだすのを延期されます(同29節参照)。主は確かに、憐れみ深いお方なのです。

 しかし、アハブの子アハズヤは、依然としてヤロブアムの道を歩み続けます(同22章53節)。その後もエリシャなど、イスラエルを代表する預言者が遣わされましたが、歴代の王たちが真の悔い改めに至ることはありませんでした。ヤロブアムの道を歩んだと言われていないのは、謀反で王位を手に入れて僅か一ヶ月で暗殺されたシャルムだけです(列王記下15章13節以下)。

 北イスラエル最後の王はホシェアです。前王ペカに対して謀反を起こし、彼を撃ち殺して、王位に就きました(15章30節)。ペカの時代からアッシリアに貢ぎ物を納めていたと思われますが(3節、15章29節)、ホシェアはその重さに耐えかねて、アッシリアの王の代替わりに乗じて、南の強国エジプトに助力を頼み、朝貢を停止します(4節)。

 しかし、ティグラトピレセルに代り、新しく王となったシャルマナサルが、北イスラエルに攻め上って来て、首都サマリアを占領し、ホシェアを牢につなぎ(4節)、民らを捕虜として連行しました(6節)。連行された民がアッシリアから帰還して来ることはありませんでした(23節)。シャルマナサルは、イスラエルの民に代わって、バビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムの人々を連れてきて、サマリアの住民としました(24節)。

 余談ですが、主イエスがサマリアを通られた時、シカルという町のヤコブの井戸辺でサマリアの女と出会われました(ヨハネ4章4節以下、7節)。その女性と会話を交わされました際に、「あなたには5人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と言われました(ヨハネ4章18節)。

 ここで、5人の夫とは、北イスラエル滅亡後、生き残った民とサマリアに植民された五つの民族との混血を意味し、今連れ添っているのは夫ではないというのは、サマリアの民がゲリジム山の上に独自の神殿を建て、エルサレム神殿と一線を画するようになったことを表わしているという解釈があります。

 ホシェアという名は、「救い」という意味ですが、ついに救いの道はとざされました。歴史のアヤでしょうか。イスラエルの民を約束の地に導き入れたのは、ヨシュアです。彼はホシェアという名前でしたが、モーセによってヨシュアと呼ばれるようになったのです(民数記13章16節)。ヨシュアは、「ヤハゥエは救い」という意味です。モーセの後継者ヨシュアによって約束の地を獲得したイスラエルが、ホシェアの時にその地を追われたのです。

 神は、繰り返し罪を犯し続ける私たちのために、神の御子を救い主としてお与え下さいました。人間となってこの世に来られた救い主は、「イエス」と名付けられました。イエスをヘブライ語で正しく発音すると、実は、「ヨシュア」なのです。主イエスに従い、その恵みに与る命の道を歩ませていただきましょう。

 主よ、かつてヨシュアによってイスラエルの民を約束の地に導き入れられたように、御子イエスによって私たちを永遠の御国に導き入れて下さり、心から感謝致します。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことでも感謝する信仰で、主の恵みに応え、御業に励むことが出来ますように。聖霊に満たし、その知恵と力に与らせて下さい。 アーメン