「しかし、イスラエルの神、主が、ガト・ヘフェル出身のその僕、預言者、アミタイの子ヨナを通して告げられた言葉のとおり、彼はレボ・ハマトからアラバの海までイスラエルの領域を回復した。」 列王記下14章25節


 父ヨアシュに代わり、南ユダ王国の王となったアマツヤは(1節)、29年間、エルサレムで王位にあり(2節)、主の目にかなう正しいことを行いました(3節)。

 アマツヤは、塩の谷で1万人のエドム人を討ち、セラを攻め落としました。セラとは、「岩」という意味です。岩や断崖を特徴とするセラの町は、エドムの首都でした(7節)。セラを攻め落としたアマツヤは、その町に「ヨクテエル」という名を付けました。それは、「主は滅ぼし給う」という意味です。

 勢いをかって、アマツヤは北イスラエルに戦いを挑みますが(8節)、返り討ちに会い、惨敗を喫します(12節)。その結果、エルサレムの城壁は破壊され(13節)、神殿と王宮の財宝が奪われてしまいました(14節)。
そのためか、アマツヤに対する謀反が起こり、アマツヤはラキシュに逃れましたが、追っ手によって殺されてしまいました(19節)。

 アマツヤの父ヨアシュも、謀反を起こした家臣によって暗殺されたので(列王下12章21節)、アマツヤは、父を暗殺した者に復讐しましたが(5節)、律法に従ってその子どもたちは殺しませんでした(6節)。それがかえって仇となり、殺されなかった子らが核となって、謀反が行われたのではないか、と考えることも出来そうです。

 一方、北イスラエル王国では、ヨアシュの子ヤロブアム(ヤロブアム2世)がサマリアで王となり、41年間、国を治めました(23節)。彼の治世は恵まれて、北はダマスコを越えてレボ・ハマトまで支配地域を広げ、南は、アラバの海、即ち死海までの地域を確保しました(25節)。ここで、政治手腕を発揮することと、霊的に恵まれることは必ずしも一致してはいません。

 ヤロブアム王(2世)は、イスラエルに罪を犯させた父祖ヤロブアム(1世)の罪を全く離れなかったと言われます(24節)。にも拘わらず、ソロモン時代に匹敵するほどの領土を回復することが出来たのです(列王記上8章65節)。

 この世はまったくままなりません。主の前に正しいことを行う王が辛い目に遭い、主の目に悪を行う王が栄えているように見えます。これが、神に創られた私たち人間が現実に生きている世界です。決して勧善懲悪、因果応報がなされるドラマの世界のようにはいきません。

 神は、イスラエルの名前が天の下から消し去られることを望まれないのです(26,27節、13章4,23節)。むしろ、助ける者がなく、羊飼いのいない羊のように弱り果て、倒れようとしている有様をごらんになって、神は深く憐れまれ(マタイ9章36節、列王上22章17節)、ご自身が助ける者となって下さったのです。けれどもそれは、神の恵みであって、決してヤロブアムの知恵でも力でもありません。

 冒頭の言葉(25節)の中に、「預言者、アミタイの子ヨナ」が登場して来ます。そして、ヨナの告げた言葉の通り、国土が回復されたとあります。国土の回復が神の憐れみであったということを、明確に示すものと言ってよいでしょう。

 ユダの王アマツヤが北イスラエルとの戦争に敗れたのは、ヨアシュが言ったとおり、エドムをうち破って思い上がり、神に栄光を帰すのではなく、自ら高ぶったからでしょう(10節)。どこまでも謙遜に、神に従って歩む者となることを神が望んでおられるのです。そのことを私たちを含め、読者に教えるために、聖霊なる神が列王記の記者にペンを取らせ、この記事を書かせたのではないでしょうか。

 放蕩息子の父は、すっかり落ちぶれて帰ってきた弟息子を見つけると、走り寄って接吻し、最上のものを与え、子牛を屠って祝宴を開きました。「死んだ者が生き返り、いなくなっていた者が見つかったのだから、食べて祝おう」と言います(ルカ15章11節以下)。ここに、神の愛があります。

 この神の愛に応える術はただ一つ、神の愛に感謝し、その御旨に従って生きるほかはありません。つぶやかず、疑わず、主の十字架を仰いで進ませていただきましょう。

 主よ、ヤロブアム2世の時代に、あなたの恵みを受けて、領土を回復することが出来ました。しかし、それを主の恵みと感謝して、導きに従って歩もうとしなかったイスラエルは、結局、滅びを招いてしまいました。御前に謙り、御言葉に耳を傾け、導きに従って忠実に歩むことが出来ますように。主の恵みと導きが、常に豊かにありますように。 アーメン