「『四つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上にその水を注げ』と命じた。彼が『もう一度』というと、彼らはもう一度そうした。彼が更に『三度目を』というと、彼らは三度同じようにした。」 列王記上18章34節


 干魃が3年目に入り、サマリアはひどい飢饉に襲われていました(1,2節)。エリヤはアハブ王の前に姿を現し、北イスラエルのすべての民と共に、バアルの預言者450名、アシェラの預言者400名をカルメル山に集めるよう求めます(19節)。そこで、対決をするのです。

 エリヤは北イスラエルのすべての民に、「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であればバアルに従え」と迫りました(21節)。そして2頭の牛を用意させました(23節)。互いに神の名を呼び、火をもって答える神こそ神であるというと、民は、「それがいい」と応じました(24節)。

 まず、バアルの預言者たちが、朝から昼までバアルの名を呼びますが、全く応答がありません(26節)。エリヤに嘲られて(27節)、彼らはいよいよ大声を張り上げ、体を傷つけ血を流すまでになって神を呼びましたが、結局、何の答えもありませんでした(28,29節)。

 次は、エリヤの番です。エリヤは民を側に呼び、壊された主の祭壇を修復します(30節)。首都サマリアにバアル神殿が築かれているほどですから(16章32節)、北イスラエルにおいて、主を礼拝する聖所は破壊され、祭壇は壊されたまま、荒れ放題になっていたのでしょう。

 エリヤは、イスラエル12部族に因み、12の石を用いて祭壇を築き、その祭壇の周りに溝を掘りました(31,32節)。次に、祭壇に薪を並べ、そして、牛を切り裂いて薪の上に載せました(33節)。そして、冒頭の言葉(34節)の通り、4つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上に注ぐように命じます。それを三度しました。

 そうして、「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたに御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください」とエリヤが祈ると(36,37節)、主の火が降って、献げ物の雄牛と薪、溝の水までもなめ尽くしました(38節)。

 これを見たすべての民は、「主こそ神です」と言い(39節)、バアルの預言者を除きました。この後、エリヤが祈ると、激しい雨が降り出し、干魃は終わりを告げました(41節以下)。

 なぜ、エリヤは祭壇に水を注がせたのでしょうか。簡単に火がつかないようにして、それらすべてを火がなめ尽くしたら、それは、神からの火であることがはっきりと分かるということでしょう。さらに、二つのことを思います。

 まず、4つの瓶の水を3度とは、12の瓶の水ということです。祭壇を築いた12の石がイスラエル12部族を表していたように、12の瓶の水も12部族を表しています。祭壇に水が注がれたということは、イスラエル全部族の民を満たす命の雨が与えられることの予表ということが出来ます。

 そしてもう一つ。旱魃が3年も続いている中で、瓶に水を満たすことは、決して易しくはなかったでしょう。宝のように貴重な水を、カルメル山の上まで運ばせ、それをすべて祭壇に注がせたのです。それも、一度に12の瓶をというのではなく、4つの瓶に水を満たして運ばせ、それを3度も行うというやり方で。そこに、主の御言葉に聴き従う献身を見ることが出来ます。

 主イエスがカナの婚礼に出席されたとき、ブドウ酒がなくなるという報告が主イエスにもたらされました。主イエスは召使いに水を汲ませました。100リットルほども入る大きな水瓶六つに水を満たすのは重労働だったと思います。召使いたちは、瓶の口までいっぱいに水を汲みました。その大量の水が、よいブドウ酒に変わったのです(ヨハネ2章)。

 そのように、エリヤの告げる言葉に従って、四つの瓶に水を満たして山頂に運び、祭壇と周囲の溝に注ぐこと三度、という献身の行為を主が喜ばれ、干魃を終わらせて激しい雨を降らせて下さったのではないでしょうか。

 良いものを豊かにお与え下さる主を信じ、私たちも精一杯、自分の持てるものを主のために献げる者にならせていただきたいと思います。

 主よ、あなたはエリヤの祈りに火をもって答え、ご自分が神であることを明らかにされました。そのことを通して、主なる神こそ、雨を与え、地に実りをもたらすお方、命の恵みに豊かに富ませるお方であることを示して下さいました。全地に、御名が崇められますように。御国の平和と喜びがありますように。 アーメン