「女はエリヤに言った。『今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。』」 列王記上17章24節


 列王記に預言者エリヤが登場して来ました。エリヤは、ヨルダン川の東、ケリトの川の畔にあるティシュベ出身で、ケリトの川がヨルダン川と合流するところにあるギレアドの住民でした(1節)。また、エリヤは、紀元前9世紀に、北イスラエル王国で活躍した預言者です。「エリヤ」とは、「主こそ神」という意味です。

 エリヤはアハブ王に、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう」と告げました(1節)。数年間の干魃ということは、その間、飢饉に見舞われるということです。それは、アハブに対する主の裁きです。アハブが主なる神を捨てて、バアル神殿を建て、礼拝しているからです。

 バアルは豊穣をもたらす雨の神として、信仰を集めていました。けれども、アハブがバアルに仕えた結果、数年の間、雨が降らなくなるというのです。ということは、イスラエルに雨を降らせ、地に実りを与えるのはバアルではなく、主なる神であるということを、ここに明確に示しているわけです。

 それから、主の言葉がエリヤに臨み、ケリトの川のほとりに身を隠します(3節)。そこで、主が語られたとおり、カラスの養いを受けます(4,6節)。カラスは人のものを盗んで食べるような鳥ですから、エリヤを養うというのは驚きであり、またなんともユーモラスです。カラスは、朝に夕にパンと肉を運んできました。一日に二度、パンと肉に与るというのは、とても豊かな食事でしょう。

 飢饉で町から食料がなくなっていくというときに、荒れ野にいたエリヤには、豊かな食物が供されていたのです。このことは、エジプトを脱出したイスラエルの民が、荒れ野でパンと肉を与えられたという出来事を思い起こさせます(出エジプト記16章8節など)。

 やがて、ケリト川が涸れてしまい(7節)、エリヤは主に促されて(8節)、シドンのサレプタに行きます(9節)。そこで一人のやもめから養いを受けるためです。彼は、町の入り口で薪を拾っていた一人のやもめに、「水を飲ませてください」と声をかけ(10節)、さらに、パン一切れを所望しました(11節)。すると彼女は、最後のパンを焼いて死ぬところで、誰かに与えることの出来るような粉も油も、もう残っていない、と答えます(12節)。

 シドンは、アハブ王の妻イゼベルの故郷です。イゼベルのゆえにアハブはサマリアにバアル神殿を建て、またアシェラ像を造りました。ですから、神はアハブを裁き、またアハブの妻イゼベルの故郷シドンを裁かれるのです。このやもめは、二階建ての家に住む、よい暮らしをしていた人物です。しかし今、命が脅かされています。バアルの神は、このやもめとその息子を養うことが出来ない、というメッセージを、ここに見ることが出来ます。

 そして、少々の水と一切れのパンをとやもめに願ったエリヤが、「主が地の表に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」(14節)という祝福を与えるのです。女性はエリヤの言葉を信じ、主の祝福に与ります(15,16節)。

 この出来事は、数百年後、サマリアの女性に語りかけられた主イエスの言葉や(ヨハネ4章7節以下)、五つのパンと魚二匹で五千人の腹を満たし、残りくずを12籠に集めた出来事(同6章1節以下)を思い出させます。

 ところが、この後、やもめの一人息子が重病になり、ついに息を引き取りました(17節)。やもめはエリヤに、自分の罪を裁き、息子を死なせるためにやって来たのかと言います(18節)。先に夫を亡くし、今また息子に先立たれる悲しみを味わうくらいなら、先に飢えて死んでいた方がよかったという言い方でしょう。

 エリヤは、息子を自分の寝台に寝かせ(19節)、「命を元に返してください」と主に祈ります(20,21節)。主はエリヤの祈りを聞かれ、子供は生き返りました(22節)。この出来事は、主こそ命を与え、養い育てて下さる真の神であられることを証ししています。

 エリヤの告げた祝福は、単に小麦粉やオリーブ油のことだけではなく、命の恵みは尽きないことを表しており、この異邦のやもめは、その恵みを味わったのですが、アハブを初め、神の御言葉に従おうとしないイスラエルの民には、厳しい裁きが臨んでいるわけです。

 主を信じ、真実な主の御言葉に日々耳を傾け、その導きに従って、ともに恵みに与りましょう。

 主よ、あのやもめはエリヤの言葉を聞き、信仰をもって答えた結果、壺の粉は尽きず、瓶の油はなくならないという奇跡を味わいました。主を信頼する者に与えられる祝福を見ます。私たちも、語られる御言葉を信じて、従うことが出来ますように。そうして、主の御言葉が真実であることを味わい、その恵みを証しすることが出来ますように。 アーメン