「アサは、父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼をその地から追放し、先祖たちの造った偶像をすべて取り除いた。」 列王記上15章11,12節


 南ユダ王国にダビデ王朝5代目の王として、アサが即位しました(9節)。アサの父はアビヤム(1節)、その父はレハブアムです(14章21節)。アサの母はアビシャロムの娘でマアカという名前であると、10節に紹介されていますが、何故かそれは、アサの父アビヤムの母と全く同じ名前です(2節)。

 並行記事の歴代誌下13章2節では、アビヤ(アビヤムのこと)の母の名はミカヤといい、ギブア出身のウリエルの娘であったと記しています。一方、母の名が同じなのは、アサの母が早死にして、祖母マアカが母親代わりを務めたと考える学者や、アビヤムの王位がわずか3年足らずだったため、アビヤムとアサが兄弟と考える学者もいます。

 ただし、8節の、「その子アサがアビヤムに代わって王となった」と矛盾することになります。いずれが正しいのか判断出来ませんが、常識的に考えれば、列王記の記述が誤りでしょう。列王記と歴代誌の系図を比較してみると、他にも違いが見つかったりして、結構面白いかもしれません。

 アサは、冒頭の言葉(11,12節)のように、主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼を追放し、偶像をすべて取り除きました。また、母マアカがアシェラ像を造ったので、皇太后の位から退け、アシェラ像は切り倒してキドロンの谷で焼き捨てました(13節)。

 曾祖父ソロモン、祖父レハブアム、そして父アビヤムの、主の目に悪とされることを行って主を怒らせるという悪しき習慣に染まず、主の道をまっすぐ歩むのは、決して容易いことではないでしょう。誰にでも出来ることではありません。

 彼の父アビヤムは祖父レハブアムが神に背いた同じ道をたどりましたし(3節)、母マアカは、アシェラ像を造った人です。罪が罪を生む悪の連鎖です。不従順の罪が3~4代に呪いを及ぼすとも言われています(出エジプト20章5節)。

 しかしながらアサ王は、そうした環境にも拘わらず、主の目にかなう正しいことを行うことが出来ました。そこには、預言者アザルヤの適切な指導があったようです(歴代誌下15章1節以下)。アサは、その預言に力を得て、宗教改革を断行したのです。

 アサの曾祖父ソロモンは、人並み外れた知恵を受け、主の幻によって繰り返し警告を聞きながら、その道をはずれてしまいました。知恵がありさえすれば、それで万事がうまく行くわけではありません。あらゆる知恵に通じて、人々を驚かせることが出来ても、主を畏れることを忘れてしまうなら、一切は無益です。主を畏れることこそ、知恵の初めであり、無知な者はそれを侮るからです(箴言1章7節)。

 12使徒の代表者ペトロは、主イエスと寝食を共にし、主イエスの様々な奇跡や不思議を目撃し、直接その教えを聞いていながら、土壇場で主を三度も否んでしまいました(マタイ26章69節以下)。それを、主イエスは予め指摘しておられました(同26章31節以下)。そのときペトロは、主を否むようなことには決してならないと断言していました。

 その思いに偽りはなかったと思います。けれども、予告通りになりました。そこに人の弱さ、罪の力が示されます。ペトロが再び使徒として立つことが出来たのは、神の憐れみです。特に、主がペトロのために、その信仰がなくならないようにと祈られた、執り成しの祈りのお陰でしょう(ルカ22章32節)。再び立ち上がったペトロは、聖霊の力を受けて、大胆に主を証しする者に変えられました(使徒2章1節以下、4章19,20節)。

 同じように、神はダビデの家の消えかかった灯火を消してしまわれたくはないのです。傷ついた葦を折り取ってしまわれたくはないのです(イザヤ書42章3節)。ダビデの故に、その家を建て、王座を永久に堅く据えて下さろうとしているのです(サムエル下7章11節以下)。そこに神の憐れみがあります。導きと助けがあります。

 私たちも主を信じ、奢ることなく高ぶることなく、謙遜に神に聴き、御言葉に従って歩みたいものです。

 主よ、まことにあなたは大いなる方、あなたに比べられる者はなく、あなた以外に神があるとは耳にしたこともありません。御子キリストの命をもって私たちを贖い、ご自分の民として御国に連なる者として下さいました。御名が永久に崇められますように。恵みと慈しみが常に豊かにありますように。 アーメン