「ユダではソロモンの子レハブアムが王位についた。レハブアムは四十一歳で王となり、十七年間エルサレムで王位にあった。エルサレムは、主が御名を置くためにイスラエルのすべての部族の中から選ばれた都であった。レハブアムの母は名をナアマといい、アンモン人であった。」 列王記上14章21節


 14章には、前半に北イスラエル王国のヤロブアムの子アビヤが病死することが記されています。ヤロブアムは、その子アビヤが病気になったとき(1節)、預言者アヒヤのことを思い出します。アヒヤは、ヤロブアムに王となることを告げた預言者です(2節、11章37節)。

 ヤロブアムは、妻を変装させてアヒヤのもとへ行かせます。それは、ヤロブアムがアヒヤの告げた言葉に背き、主の掟と戒めを守らなかったため(11章38節以下参照)、堂々と会いに行くことが出来なかったのでしょう。ただし、その変装は無駄でした。アヒヤは、老齢で目が見えなくなっていましたし(4節)、ヤロブアムの妻が変装してやって来ることを、主が予め告げておられました(5節)。

 アヒヤは、ヤロブアムが誰にもまさって悪を行い、神を怒らせたことを告げ(9節)、ヤロブアムの家に災いをもたらすと宣言します(10節)。10節の、「縛られている者も、解き放たれている者も」は、奴隷も自由人も皆ということでしょう。

 「男子であれば」は、原文を直訳すると、「壁に向かって小便する者」です。ヤロブアムの家の者が、礼儀をわきまえない不道徳な輩だと言おうとしているのでしょうか。岩波訳には、「あるいは犬のことか」とも解されています。そのため、徹底的に裁かれ、病死するその子アビヤ以外に、弔われ、墓に葬られることもないようにされるというのです(13節)。

 14章後半は、南ユダ王国のレハブアムについて言及しています。冒頭の言葉(21節)のとおり、彼はソロモンの子で、母はアンモン人でした。ユダの人々も、先祖にまさる罪を犯して神を怒らせました(22節)。

 それとはっきり記してはいませんが、レハブアムの母がアンモン人であることが、21節に続いて31節にも記されていることから、これは、ソロモンが神の規則に背いて外国の女を娶り、その神々を拝んだ罪の結果であると告げているようです(11章参照)。

 レハブアムの治世第5年にエジプトの王シシャクが攻め込み、神殿と王宮の宝物すべてを奪っていきました(25,26節)。シシャクは、ヤロブアムがソロモンを避けてエジプトに逃れたときの王です(11章40節)。

 ソロモンはエジプトの王女を妃として迎え、王宮にエジプトの王妃のための住まいを造りました(7章8節、9章16節)。エジプトとの間に和平協定が成立していたと考えられます。けれども、ソロモンの王位を継いだのが、エジプトから迎えた王妃の子ではなく、アンモン人ナアマによって生まれたレハブアムであったというのが、エジプト王シシャクを怒らせたのかも知れません。

 ところが、ユダの人々は、エルサレムの都にエジプト軍が攻め入り、宝物すべてを奪っていくという大事件が起こったにも拘わらず、その罪を悔い改めようとはしません。主がその御名を置くために選んだ都エルサレムは、異邦の民によってではなく、ユダの王並びにユダの人々によって汚され続けます(15章1節以下)。

 レハブアムは、奪われた黄金の宝物に代えて、青銅の盾を作らせました(27節)。それは、形はあるけれども、心は違うということ、神への純粋な信仰を失ってしまったと言い表わしているかのようなものです。

 私たちは、結局イスラエルは真の悔い改めに立つことが出来ず、北イスラエル王国は紀元前722年ごろアッシリアにより、南ユダ王国も紀元前587年ごろにバビロンによって滅ぼされてしまうことを、知っています。民は捕囚の憂き目に遭い、神の選ばれた都エルサレムは火で焼かれ、あらゆる宝物は奪われ、神殿も徹底的に破壊されました。

 しかし、それで終わりではありませんでした。人が汚したエルサレムの神殿を、主イエスが清められました(ヨハネ13節以下、マルコ11章15節以下など参照)。ダビデの子孫の罪の呪いをその身にすべて受け、十字架にかかって死なれました。主イエスによってすべてが新しくなるのです(ローマ書6章4節、第二コリント書5章17節)。主イエスをお迎えしましょう。

 主よ、私は罪人でした。私の罪を赦し、神の子とするために、御子が十字架にかかり、贖いの業を成し遂げて下さったことを信じ、感謝します。絶えず私の心の王座に主をお迎えします。私を新たにし、御心のままに歩ませて下さい。 アーメン