「王様は神の御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上に起こることをすべてご存じです。」 サムエル記下14章20節


 アムノンを殺してゲシュルに逃げたアブサロムをどうすべきか、ダビデは悩みました(13章37節以下)。ゲシュルは、アブサロムの母マアカの母国であり、ゲシュルの王アミフドの子タルマイは、アブサロムの祖父でした(3章3節)。放置しておけば、二度とアブサロムはダビデの下に帰って来ないでしょう。

 ダビデは、イスラエルの王として、正義を行うためにアブサロムを処罰するべきだと思いますが、その心は父親として、アブサロムに愛を示し、罪を赦してやりたいのです。13章39節の「アムノンの死をあきらめた王の心は、アブサロムを求めていた」というのはそのことです。

 そもそも、アブサロムがアムノンを討ったのは、妹の復讐のためでした。初めにダビデがアムノンに対して断固とした態度を取っていれば、アブサロムが妹のことでアムノンに憎悪の炎を燃やし、殺害する必要はなかったと考えられるからです。

 ダビデの心を察した軍の司令官ヨアブは、アブサロムを連れ戻すために一計を案じました(1節)。ヨアブに命じられて、ダビデのもとに一人の女性が遣わされ、ダビデの知恵を求めます(2節)。それはちょうど、ダビデが自分の罪を悟るように、神がナタンを遣わして語らせたのに似ています(12章1節以下参照)。

 女性の話を聞いたダビデは、それがヨアブの入れ知恵であると気づきました(19節)。それを女性に確かめたとき、その女性は冒頭の言葉(20節)のとおり、ダビデの知恵をたたえて、「王様は神の御使いのような知恵をお持ちである」と語りました。そしてダビデは、ヨアブの考えどおり、アブサロムを赦し、家に連れ戻すことを許可します(21節)。一件落着、めでたしめでたし、と言いたいところですが、事情はそんなに単純ではありません。

 ヨアブはなぜ、王子アブサロムを連れ戻したいと思ったのでしょうか。ヨアブはかつて、弟アサエルがイスラエルの司令官アブネルに戦いを挑んで敗れ、殺されたのを恨み、策略を用いてアブネルを殺し、復讐を果たしました(3章22節以下)。即ち、ヨアブは決して寛大な人物ではありません。

 ヨアブは女性に、「はしために残された火種を消し、夫の名も跡継ぎも地上に残させまいとしています」と言わせました(7節)。つまり、アムノン亡き後、続いてアブサロムを失うことは、ダビデの名も、そして跡継ぎも、この地上に残らない、それは国を危うくすることだというのです。

 ヨアブはダビデの王位を継承する者をアブサロムと定めて、国の安定を願っているのです。あるいは、アブサロムがダビデの跡継ぎとなるとき、アブサロムに肩入れした自分の地位がさらに堅くなると考えていたのかも知れません。

 あらためて、女性は、「王様は御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上で起こることをすべてご存じです」と言いました。確かに、王として国を治めるためには、そのような知恵が必要でしょう。しかし、本当にダビデがそんな知恵を持っているわけではありません。故に、しばしば過ちを犯します。彼も、知恵ある者の助言を必要としている者なのです。その知恵とは、主を畏れる心に基づくものです。

 後に、へロデ王の演説に聴衆が、「神の声だ。人間の声ではない」と叫んだとき、その栄光を神に帰さなかったため、ヘロデは主の御使いに打たれました(使徒言行録12章20節以下参照)。今日の箇所には、神の知恵を求めて祈ることも、託宣を求めて預言者に尋ねることもありません。また、この女性の王を讃える言葉を聞いて、ダビデがその誉を神にお返しすることもありません。

 国の安定を願うヨアブの計画に従って、アブサロムを連れ戻すのを許したというダビデの決定、その解決方法が神からのものでなかったことは、直に明らかになります(15章以下参照)。ダビデはさらに辛い経験をしなければなりません。神の裁きが明らかになります。つまり、ヨアブは国の安定を願ってダビデに入れ知恵したのですが、それが却って国を混乱させ、ダビデの苦しみを増す結果になったのです。

 実に、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心」です(詩編51編19節)。罪の赦し、神の救いが安価な恵みとならないように、絶えず神の前に謙り、御言葉に耳を傾けて参りましょう。

 主よ、他人の相談に乗ることは出来ても、自分のことは分からない私たちです。よかれと思っても、間違っていることがあります。どうか憐れんで下さい。御名により、正しい道に導いて下さい。御言葉を聴く耳を与えて下さい。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン