「しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人をご自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」 サムエル記上13章14節


 サウルは、預言者サムエルに命じられたとおり(10章8節)、ギルガルでサムエルの到着を待っていました(8節)。けれども、約束の日になっても、なかなかサムエルが現れません。サウルは気が気ではありませんでした。

 というのは、イスラエルに向かって、ペリシテ軍が大軍をもって戦いを挑んで来たからです。その数は、戦車3万、騎兵6千、兵士は海辺の砂のように多い、つまり数え切れないほどという大軍です。対するイスラエルの兵士は3千です。

 この戦いのきっかけは、3千の兵のうち千を預けられたサウルの息子ヨナタンが(2節)、ゲバに配置されていたペリシテの守備隊を打ち破ったからでした(3節)。ペリシテ軍は、打ち破られた守備隊の報復にやって来たというところでしょう。

 しかし、ゲバの地というのは、ベニヤミン族の所領です(16節)。そこにペリシテの守備隊が配置されていたということは(3節)、その地を実効支配していたのはペリシテの方だったわけです。だから、ヨナタンは、自分たちの所領の地を取り戻したいと考えて、守備隊を打ち破ったのでしょう。

 当時、イスラエルには鍛冶屋が一人もいませんでした(19節)。製鉄技術などを獲得して、刀や槍を作り出すことがないよう、ペリシテ人が一切を厳格に管理していたわけです。

 そのため、鉄の剣や槍を手にしていたのは、サウルとその子ヨナタンだけでした(22節)。つまり、イスラエルの兵士たちは、まともな武器さえ持っていなかったのです。これでは全く戦いになりません。神の助けがなければ、とても生き残れないという状況です。

 だからこそ、サムエルに早く来てほしいと、その到着を待ちわびているのです。なかなかサムエルがやって来ないので、ペリシテに恐れをなしたイスラエル兵の中には、逃亡する者が続出するようになりました。3千人揃っていても戦いになるものかと言わざるを得ない状況なのに、最後には6百人になってしまいました(15節)。

 しびれを切らしたサウルは、自ら焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を神にささげて、戦勝の嘆願をすることにしました(9節)。数の上でも、武器のことでも、全く勝負になりませんから、何とか、神の助けと導きを得たかったのです。すると、ちょうど献げ物をささげ終わったときにサムエルが到着したのです(10節)。

 サムエルはサウルに、主の命令を守らなかったから、あなたの王権は続かないと告げます(14節)。その命令は、「わたしよりも先にギルガルに行きなさい。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう」というものでした(10章8節)。サムエルが着くまで待てと言われているのだから、何があっても待っていなければならなかったのです。

 これは、サウルに課せられた試練でした。目に見える状況に振り回されずに、神を仰ぐことが出来るかどうか。自分の知恵や経験よりも、御言葉に耳を傾けるかどうか。兵の数、自分たちの力よりも、神を信頼することが出来るかどうかです。ペリシテが攻め寄せたのも、恐れをなしたイスラエル兵が戦線を離脱して逃げ出したのも、主の差し金だったわけです。そしてサウルは、残念ながらこの試験に失敗してしまったのです。

 私たちも同様です。状況に動かされないで、常に主に信頼することが出来るでしょうか。御言葉に忠実に従うことが出来るでしょうか。その信仰が問われます。

 日毎、神の御前に謙り、神の御旨が行われることを信じて祈りましょう。目には見えませんが、常に共にいて私たちを慰め、励まして下さる主の御言葉に耳を傾けましょう。死者を甦らせ、無から有を呼び出す方を信ずる真の信仰に与らせていただきましょう。自分を捨て、日々自分の十字架を背負って、主イエスに従いましょう。試練を通して開かれてくる主の新しい恵みに与り、心から主を賛美させていただきましょう。

 主よ、幼子が母親の胸で安心して憩うように、外に何がありましても、常にあなたに信頼し、平安の内に御言葉に従って歩むことが出来ますように。弱い私を顧み、信仰に歩ませて下さい。御名が崇められますように。 アーメン